消防士からレスキュー隊員へ、そして渡米
「マウイの達人」を運営するサニー神谷さん |
18歳の頃、友人が公務員試験を受けると聞いて、サニーさんも消防士になることを決意。見事、福岡市消防局の消防士になり、2年後にはレスキュー隊員に。その後は10年間、水中、陸上、山岳と、場所を問わず、数々の現場で救命にあたる日々を過ごしました。
救助の現場には、多くの人生の最期の瞬間も存在するのが悲しい現実。その瞬間に立ち会うたび、その方が存在していた「人生の軌跡」のようなものを感じ辛かったと、サニーさんはおっしゃいます。
「自分もいつか、このまま人生の最期を迎えてしまうかもしれない…。本当にこのままでいいのだろうか、もっと違う何かがあるのではないか、という疑問が沸々とわいてくるんですよね。」
そんな折、「国際消防情報協会」との出会いがありました。ニューヨークを拠点とし、世界の消防の情報を集めて横のつながりを作ろう活動する団体です。
「もっと自分の中にある可能性を試してみたいと思い、若気の至りで日本を飛び出しました(笑)。ニューヨークの消防士になろうと思ったんですね。」
救急隊員になり勉強の日々、そしてニューヨークを飛び出すことに
ニューヨークで学習した時のテキストを今も大切にとってあるそうです。 |
渡米後には思わぬ事実が発覚。消防士の試験は受けられるのですが、合格しても、実はアメリカの市民権がないと消防士にはなれなかったのです。
「試験は受けられますか、と聞いて『YES』と言われたので安心していたんですよ。アメリカでは、往々にして聞いたことしか答えてくれないものだということを、このときつくづく学びましたね。」
すぐさま方向転換をして、永住権があれば就くことができる救急隊員になるために授業に通うことになりました。病名などの専門用語も英語で勉強しなくてはならず、4時間の授業をビデオに撮り、さらに家でまた4時間勉強し直すという、大変な努力の日々だったそうです。
「英語はそれまでまったく勉強したことがなくて…。でも、仕事をするためには勉強せざるをえない。もともと関心の強い分野について学ぶので、英語での勉強も、苦にはなりませんでした。なかなか英語が身につかないという人は、一番興味ある分野のことを、英語で勉強するといいと思いますよ。」
しかし救急隊員の現実は楽ではありませんでした。単に重労働というだけでなく、人種差別にもあいました。ニューヨークの寒さと空の暗さに次第に落ち込んでいく自分を感じていたそうです。
「そんな時に、たまたまテレビでハワイの番組を見たんですね。まばゆいばかりの太陽の光、青くきれいな海でのダイバーの姿を見て、うわー、これ、いいなーと思って(笑)。」
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