やはり30歳は女性の壁なのか
「平成一桁ガチババアというとアラサーですよね。私は35歳独身ですが、自分で言うならいざ知らず、25歳の後輩に『先輩も、ガチババアですね』と笑われたときにはちょっとムッとしてしまいました」そう言うのはリオさんだ。30歳を越えたとき「ああ、ついに30代に入ってしまった」と落ち込んだというが、それで吹っ切れたような気持ちにもなり、ふと気づいたら30代半ばになっていた。
年齢を経ることに対してネガティブな気持ちになったり、人を否定的に見るようになる習慣はいまだに残っている。誰だって平等に年をとるのに、若いことに価値を置くのはもはや日本の風習としか思えない。
いつまでたっても「30歳の壁」は女性にとって高く厚いのだろうか。
今もなくならない価値観
「実際には30代、楽しいですよ。40代の先輩に聞くと『今が一番楽しい』って。それはもはや実年齢ではなく、他者からの目を気にせず、自分の人生を楽しめるかどうかにかかっているのかもしれませんね。だからこそ、他人から『ガチババア』なんて言われたくはないですけど」江戸時代には、数え20で年増、25で中年増、30で大年増と呼ばれていたし、バブルのころは25歳は「売れ残りのクリスマスケーキ」と言われたものだ。「結婚」が女性の人生において最重要事項だった時代は、年齢が大きな要素だったのかもしれない。
だが今はそういう時代ではないはず。それでも女性と年齢を結びつけ、若いことがいいことだとする価値観はなくならない。それを逆手にとって、世に問う意味合いも含めての「平成一桁ガチババア」ということであれば、それはそれで興味深いのだが果たして……。
年をとっていいことなどないけれど
「年をとるのも悪くない」と考える人がいる一方で、「年をとっていいことなんて何もない」と断言する人もいる。現実として、年齢を重ねることで体力、気力が衰えてくるのは当然のこと。更年期を越えれば、今度は白髪やシミ、たるみなど美容的にも衰えが見えてきて、鏡を見たくなくなることもある。「40代は若かったなあ」と思い返したりもするのだ。「そう、それで10代のころ、40代の先輩をクソババアと心の中で罵ったことを後悔するわけですよね」
会社を経営するミチヨさん(60歳)はそう言って笑った。50代以降は健康に重きを置くしかなくなり、「若さ」への執着は手放したそうだ。
「50代あたりで病気をするかどうかによるのかもしれません。病気1つしたことのない友人は、還暦を迎えてやたらと美容にはまっています。私自身、50代で大きな病気をしたので、もう美容なんてどうでもいいわという感じなんですが」
若さへの執着から、健康への執着にシフトしたとミチヨさんは笑う。人はいくつになっても、何かに執着するとも言えそうだ。
自分の生き方を貫くことが必要
「それこそ昭和のガチババアの私から見ると、『平成一桁ガチババア』は語呂がいいなとは思いますが、女性自らババアとは言ってほしくないなと内心、思っています。それがジョークになってしまうこと自体が、少しせつない。ジョークと受け取らない人がいるかもしれませんし、ババアだからという遠慮が働いたら、その人らしさがなくなってしまう」多様性だの個性だのと表向きは言っているが、突出しない限り「出る杭は打たれる」のが今の社会。それを恐れて遠慮する女性が増えることが懸念だとミチヨさんは言う。
「私は私で何が悪い。理屈ではなく、体感でそう思う女性たちが多くなればいなと思っています。そのためにも自分らしく、自分の生き方を貫くことが必要で、若い人にはとにかく他人の目を気にするな、他人の評価を気にするなと言っていますが、なかなかすんなり受け止めてはもらえない。それが私自身の課題でもありますね」
平成一桁ガチババアは、いずれ令和一桁ガチババアと変わっていくのだろう。いつの世も、この国においては女性への評価が年齢と共にあることを変えようがないのだろうか。