人間関係

「溺愛する弟を頼れば」家族を拒絶した39歳女性の人生。その全てが始まった「弟が生まれた日」

両親は自分をかわいがってくれた。弟が生まれるまでは。同じ家庭でも育つ「環境」が同じとは限らない。39歳女性は、みんなが弟を優先させる環境に怒りと寂しさを感じていた。そしてそれは、彼女の生き方そのものに大きな影響を及ぼした。※サムネイル画像:PIXTA

亀山 早苗

亀山 早苗

恋愛 ガイド

どうして男女は愛し合うのか、どうして憎み合うのか。出会わなくていい人と出会ってしまい、うまくいきたい人とうまくいかない……。独身同士の恋愛、結婚、婚外恋愛など、日々、取材を重ねつつ男女関係のことを記事や本に書きつづっている。

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子どものころは「寂しい」と言えなかった(画像:PIXTA)

子どものころは「寂しい」と言えなかった(画像:PIXTA)

同じ環境で育っても、人によって性格は違う。そして実は「同じ環境」は存在しない。たとえ双子であったとしても、親や周囲による声かけがまったく同じとは限らないからだ。神経質だったり繊細だったりする子なら、大きくなっても育った環境を引きずっていく可能性もある。

みんなが弟を優先させていた

「私、弟が生まれたときのこと覚えてるんですよ。私の全ての原点はそこだったかもしれない」

39歳独身、夫も子もなしと自己紹介をしてから、ナオコさんはそう続けた。両親はナオコさんをかわいがってくれた。弟が生まれるまでは。

「弟が生まれたと聞いて、父方の祖母と一緒に病院へ行ったんです。でも祖母は病室に入るなり、つないでいた手をふりほどいて赤ちゃんのもとへ一直線。たぶん母方の祖父母もいたと思うんですが、みんなが弟の周りに集まってニコニコ笑っていた。私は誰にも話しかけられなくて、このまま自分がいなくなったらどうなるのかなと思って病室を出て行ってしまったんです」

病院の中で迷子になり、看護師さんに声をかけられ、名前を言えたので病室まで連れて行かれた。ところが病室ではまだ弟がちやほやされており、誰もナオコさんがいなくなったことに気づいていなかったという。

言いようのない寂しさ

「看護師さんが父に、娘さんが迷子になってましたよと言うと、父はありがとうございますと答えた。でも看護師さんが退室したら、『何やってんだ、おまえは』と軽く頭をはたかれたんです。言いようのない寂しい気持ちだった。両親や親戚、弟に対しても怒りが湧きました。でも子どもだから言えないんです」

その後も両親は弟優先だった。少し大きくなってからも、母は「あなたはお姉ちゃんなんだから」と弟に何でも譲るような教育を施した。もしかしたら親に特別な意図はなかったのかもしれない。みんなで一番小さい弟をかわいがろうということだったのかもしれない。だがそれを3歳違いの姉に押しつけるのは酷である。

「私が小学校4年生のとき弟が入学だったんですが、私は朝から遊びたいと理由をつけて早く登校し、弟と一緒に学校へは行かなかった。校内で弟に会っても知らん顔していました。弟がそれを母に言いつけたので、『どうして知らん顔するの』と怒られた記憶があります」

そのときどんな対応をしたのかは覚えていない。ただ、長ずるにつれて両親への信頼感はなくなり、弟にも関心がなくなった。

他人と関係を築く方が楽だった

「親から暴力をふるわれたわけではないけど、私に関してはネグレクトに近かったと今でも思う。私は何もかも自分で選択して決断して、大学も自分の意志で入学しました。大学は自宅から1時間半くらい。入学後、遠いから通えないと言って一人暮らしを始めました。学費は出してもらったけど生活費はもらわなかった。いろいろなアルバイトをしましたね」

働きぶりにほれたと言われ、そのまま食品系の会社に入社。必死で働いてきた。働くことで他人に認めてもらえるのがうれしかった。

「他人といい関係を作る方が、家族とうまくやるよりずっと楽だった。学生時代以降は、私は社交的な人間だと思われていたような気がします。家族とは年に1回くらいは会っていたけど、何だかぎくしゃくしている感じが抜けなかった」

あるとき父方の祖母が亡くなったと連絡があり、さすがのナオコさんも通夜に足を運んだ。親戚が集まっている場で世間話となり、母は「この子は極端な人嫌いだから、ちゃんと働けているかどうか心配」と言った。

「あ、親はそう思っていたのかとはじめて知りました。私は亡くなった祖母の写真を見ながら、『あのとき、私の手を振り払って弟のそばに行ったよね』と相変わらず恨み節を心の中でつぶやいていたんですが、みんな私が変わった子だと思っているだけだったのかと。我ながら執念深いとは思うけど、下の子ばかりに大人の目が向くことがどれだけ寂しいか分かってない。寂しいという感情を伝えられなかった私にも問題はあるのかもしれませんけど」

いずれにしろ今さら言ってもどうにもならない。自分は自分らしく生きていくしかない。そう考えて仕事中心の生活を送ってきた。

家を出た私にある日突然

「ところがつい最近、弟から連絡があったんです。父が介護が必要になった、お姉ちゃん、帰ってきてくれないかなと。弟はずっと自宅で両親と生活してきた。親が甘いから、大学は中退、それからはたまにアルバイトをするだけで親に面倒を見てもらってきたんです。結局、甘やかされてそこにあぐらをかいて生きてきた。私は親の面倒はみない、あんたはずっと世話になっているんだから自分でやりなさいと私は吐き捨てました」

その後、母からも連絡があったが、「溺愛してきた弟を頼ればいいでしょう」と突き放した。突き放すことに葛藤や罪悪感がなかったわけではないが、どうしても関わりたくなかった。

「ただ、それを学生時代からの友達に言ったら、『あまりに冷たいよ』と泣かれてしまって……。やっぱり私の性格が悪いだけなのかもしれないと鬱々としています」

彼女は繊細な感受性を持っていたのだろう。自らの心を守るために、あえて親に頼らず生きてきたのかもしれない。親子ならうまくやっていけるわけではない。彼女の決断は、彼女にしか分からないところで成立しているのではないだろうか。
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