あえて昔からの友人と決別
「学生時代からの友人が離婚して、シングルマザーになったんです。彼女には6歳と4歳の子がいました。困ったことがあったら協力するからと言ったら、彼女に利用されまくって……。とうとう縁を切りました。でもそれでよかったのかどうか、今でも後悔しているところもあって」そう言うのはマヨさん(40歳)だ。3年前の一時期、離婚した友人がたびたび子どもたちを預けにやってきた。最初のうちは大変だろうからと預かっていたのだが、マヨさんにも、当時8歳と4歳の子がいた。自身の子どもたちだけでも大変なのに、友人とはいえ他人の子の責任までは負うことができないと思うようになった。
「彼女は就職活動をしているの、仕事が決まるまで何とかお願いと言っていたんですが、彼女の上の子が『ママ、今日もあのおにいさんと一緒かな』と下の子に話しているのを聞いてしまったんです。さりげなく、『ママと仲よしのおにいさんがいるのね。きみたちはそのおにいさんと仲よくしてないの?』と言ったら、『怖いんだもん』と。つまり彼女は、子どもたちを私に預けて男と会っているんだと分かったんです」
もう私には助けられない
友人にはきちんと話をした。ところが、「あんたに私の気持ちなんて分かるわけないわよ。専業主婦でのうのうと暮らしているくせに」とひどい言葉を投げつけられた。子どもたちがどれほど寂しい思いをしているか、まずはそれを考えなさいよと言ってみたが、その言葉は響かなかった。「彼女の実家の連絡先を知っていたので電話をかけて、お母さんと話をしました。お母さんがすぐに迎えに来て連れて帰りますと言っていたのでホッとしたんですが、私はそれで彼女によけい恨まれたみたい。だからそれきり連絡していません。彼女からは手紙が来ましたが、何だかやっぱり心が荒れている感じがして。でももう私には助けられない。少し心は痛みますが無視するしかなかった……」
全てを抱えきれないなら、ある程度のところで手を離すのも仕方がないと思うと、夫はマヨさんを慰めてくれたそうだ。
義実家を切り捨てた私
「私がリセットしたのは義実家ですね。本当なら復讐(ふくしゅう)してやりたいところだけど、黙って引き下がったのをありがたいと思えと今でも思っています」厳しい表情でそう言ったのは、ヒロカさん(43歳)だ。結婚時、義両親との同居の予定はなかったのに、結婚して3年目に急きょ、同居するはめになった。
「義兄一家と住んでいたんですが、義姉との折り合いが悪かったみたい。義兄は自ら転勤願いを出して一家で越していきました。夫が両親がかわいそうだから一緒に住んでやってほしいと土下座して頼み込んできたので、私も仕事を続けるという条件で同居に踏み切ったんです」
その後、ヒロカさんは二人の子に恵まれた。だが、二人目も女の子だと分かったとき、義両親は二人して「次男の嫁も役に立たない」「男の子を産めないなんて」とさんざん嫌みを言い続けた。
「あげく長女を男の子のように育てると決めたらしく、勝手に男の子の服を着せたりしはじめて。娘がかわいそうだったから、私はすぐに娘二人を連れて別居しました。夫はそのときはついてこなかった」
長女3歳、次女が1歳のときのことだ。実家の親に連絡をし、母にしばらく一緒に住んでもらった時期もある。
「会社にまで義両親二人そろってやってきて、受付で『孫を返せ』と大騒ぎしたこともあります。そのときは私が自ら警察を呼びました。夫にも詳細を伝えた。さすがの夫もすぐに家を出てきて謝罪、私たちは一緒に住むようになったんです」
連絡をとらないのは互いのため
それからほとんど連絡をとっていなかったが、今は70代半ばになった義両親はだんだん気弱になってきているようだ。「それでも私は行きません。ただ、夫にとっては実の親だから、あなたが行く分には私は止めないと言っています。時々様子を見に行っているようですよ。義両親から私に謝りたいと伝言がありましたが、謝らなくていいから接点を持たないでと夫に伝えました」
自分が強情なのは分かっている。だがあのころの日々は、いまだに夢を見てうなされるほどヒロカさんを苦しめている。それなら連絡をとらない方が互いのためだと彼女は言う。
「親戚からは非情な嫁だと言われているようですが、どう言われてもかまわないと覚悟を決めたので。自分の精神衛生上もこの方がいいんです」
心に重いものを抱えてはいるが、それでも私は日和らないとヒロカさんはきっぱり言った。