夫の不倫がもとで……
妊娠中から夫に不倫され、出産当日も夫は現れなかった。なんと夫はその日、不倫相手と旅行していたのだ。そんな状況であっても、即離婚と決断できないのが悲しかったと、メイコさん(40歳)は言う。「非常に難産で心身ともに疲弊してしまって、とても正常な決断はできなかった。両親にも義両親にも夫の不倫について話しました。うちの両親は怒っていたけど、義両親は私の親が席を外したときに『妊娠中だからって、夫を蔑ろにしたんじゃないの?』とニヤニヤ。あからさまに私が性的な相手にならなかったからだと言わんばかりでした。ただでさえ産後の疲れでボロボロなのに、そんなことを言われて気持ちがドンと落ちました」
夫が来たのは翌日だった。やけに明るく「大変だったねー。昨日はごめん、急な出張で」と大声で言い訳を並べた。
「もういいよ、何もかも知ってるからと言いました。ちょうどそのとき私の両親がいて、『ちょっと話がある』と連れていって説教してくれたんです。戻ってきた夫は『ごめん。もう二度と悲しませるようなことはしないから』と。それでも私は信頼できなくて、退院した日に夫と二人きりで子どもを前にして『ちゃんと誓って。この子を二人で協力して育てていくって』と迫りました。夫は目に涙を浮かべて『誓います』と言ってくれた」
夫を信じると決めたが
その後、夫の不倫相手からメイコさんに嫌がらせのメッセージなどが届いたが、夫を信じると自分で決めたのだからと、彼女は全て無視した。夫を蔑ろにしたという義両親の言葉も気になり、産休、育休中は夫の好物を料理し、家の中もきれいにするよう心掛けた。初めての子を育てるだけでも神経をすり減らすのに、さらに夫にも気を使い続けたのだ。「私の育休中、夫は相変わらずマイペースでしたね。飲み会で遅くなると言って出掛けた日もあったし」
生後7カ月で保育園に入れることになったので、メイコさんはそれを機に仕事に復帰した。ここから夫と協力体制を組みたいところだったが、夫のマイペースぶりは変わらなかった。
それどころか帰宅が遅くなることも増えた。
「私の体力も気力も限界でした。息子が1歳の誕生日を迎えたその日の帰り際、私は会社で倒れて救急搬送されたんです。夫に連絡がつかず、義母に連絡がいってしまって。でもさすがに義母も病院に駆けつけてくれました」
過労なので数日間、入院したほうがいいと言われたが、そのまま退院。帰宅すると、連絡のとれた夫が保育園から息子を連れ帰っていた。義母もよほど不審に思ったのか、「どうなってるの、あんたたち。ちゃんと協力しているの?」と不安げだった。
目撃した衝撃的な場面
その後も夫からはあまり協力を得られないままだったが、メイコさんはなんとか頑張って仕事と育児を両立させていた。時に義母がおかずを持ってきてくれたりもしたため、義母との仲は急速によくなっていた。「あのころはお義母さんが頼りになりましたね。ところが息子が2歳の誕生日を迎えたころのこと。ある日、部長が『今日は急ぎの仕事がなければ、もう帰れ。たまには子どもとゆっくりしたら』と言ってくれて。周りもみんなニコニコうなずいてて。日ごろ頑張ってるんだから、今日はいいよと。うれしくて涙目になりながら早めに保育園に迎えに行き、息子とお散歩しながら帰宅しました。でも……そこで見たのは、夫が女性と抱き合っている場面。思わず息子の目をふさぎました。家に女性を引っ張り込むなんて、どういうことなのか、体中の血が逆流して、息子を子ども部屋に押し込めると、夫を平手打ちしてしまいました。女性のことも突き飛ばして、そこらへんのものを全部二人に投げつけて」
ハッと気付くと誰もいなかった。息子がそばに来ていた。思わず抱き上げて号泣したという。
そんな衝撃的な場面を見てしまったら、残された選択肢は離婚しかないのかもしれない。
「それでも何カ月も悩みましたよ。ただ、ふと気付くと息子が私をじっと見てる。その顔が夫にそっくりなんです。だんだん追いつめられたような気持ちになって、仕事にも行けず、子どもの世話もできなくなっていきました」
離婚、そして……
それから数カ月後、メイコさんは家を出た。たった一人で。義母にはことの顛末(てんまつ)と、息子を頼むと置き手紙をした。離婚届にもサインした。「息子と二人では生きていけると思えなかった。夫への憎しみが増すにつれ、息子のことも憎く思えてきて。母親失格だと思う。一般的には夫が憎くても子どもは別でしょう? でも私は夫と息子の顔が重なって、つらくてたまらなかった。夫を平手打ちしたときの感覚が手に残っていて、息子のことも張り飛ばしたくなることがあった。私に育てられる息子もかわいそうですから、置いていくしかなかった」
それから5年の歳月がたった。息子は今年、小学生になっているはずだが、元夫からはもちろん連絡は来ない。メイコさんは息子のためにと少しずつ預金をしているが、いつか渡せる日が来るのかどうかは定かではない。
「息子を見捨てた母親だと思われても仕方がない。でも私はあのままだったら、きっと息子をまともには育てられなかった。こっそり自宅を見に行ったことがあるんです。義父母が同居しているようでした。息子も元気そうに飛び跳ねていたから、ほんのちょっとホッとしました。元気に育ってくれることだけを祈りながら、私は一人で生きていくつもりです」
夫への憎しみが息子に及ぶことを自ら避けたのは、彼女の英断だったのかもしれない。