食費を削ろうとしたけれど
「ここ2年くらい、生活の最優先は倹約。こまめに電気を消したり、夏も冬もエアコンの設定温度はギリギリのところ。夏は28度、冬は18度にしています。もちろん一番削れるのは食費。一汁三菜なんて夢のまた夢だったんですよ」そう言ったカエさん(45歳)。高校生になったばかりの長男、中学2年生の次男はともにスポーツに夢中で、とにかく食べる量がハンパではない。カエさん自身もパートの時間を増やして対処してきたが、食事はどうしても炭水化物がメインだった。
「ガス代節約のため、夕飯は一品料理が多かったですね。大きなフライパンで炒めた焼きそばをそのままテーブルへ。あるいは寸胴鍋で豚汁を作って、炊き込みごはんとで一食とか。肉はほとんど豚バラばかり。最近の米不足では、麦の割合を増やしたりしていましたが、ついに買えなくなった時期があって、ひたすら安いうどんやパスタに頼っていました」
ただ、つい2カ月ほど前、カエさん自身が心身ともに不調を覚えるようになった。病院で検査を受けたが、特に悪いところはない。強いていえば慢性疲労のような状態なのではないかと診断された。
検査代の領収書を見て思ったことは
「検査代、けっこうかかったんですよ。その領収書を見ながら、ああ、これなら豚バラがたくさん買えたなと思っている自分に気づいた。そしてその瞬間、『おいしい牛肉が食べたい。盛りだくさんのサラダが食べたい、鰻も食べたい』と強烈に思ったんです」節約は大事だが、全てに目を光らせ、食費もかなり減らしていたため、彼女自身が大きなストレスを感じるようになっていたのだろう。
「昼食は夫は社食、長男は学食、次男は給食。私はほとんどおにぎり1個とか、セールの食パンにハム1枚挟んだサンドイッチとかだった。子どもたちにはたくさん食べさせたいと思って頑張ってきたけど、楽しみになるような食事だったかと言われると疑問です」
ここ最近、夫は「たまには外食でもしない?」「たまにはキャンプにでも行こうよ」としきりに言っていた。夫もまた、もう少しいいものを食べたいと思っていたのだろう。だが倹約に励む妻に、直接は言い出せなかったのではないだろうか。
家計を見直して
「人の体は食べるものから作られる。私の母はよくそう言っていました。だから私は丁寧に作られた料理で育った。専業主婦だった母と私は違うし、時代も変わってあんな料理を毎日作るのは無理だけど、栄養を考えれば、子どもたちまでいずれは体を壊しかねない。それに気づいて、あわてて家計を見直しました」民間の保険や携帯電話など、食以外に削れるところがあるはず。子どもたちは以前から塾をやめたがっていて、サボることも多い。夫はもともと塾には反対だった。それを押し切って行かせていたのだが、果たして本当に必要なのだろうか。家族会議を開いた。
「スポーツに夢中だけど、親としては大学まで行かせたい、あるいは本人の好きな専門学校でもいい。とにかく好きな道を見つけてほしい。そのために塾が必要なら、今のまま続ければいいが、本人が塾はいらないというなら行かなくてもいい。その代わり、学校の勉強だけはある程度の成績をとってほしい。私は本音でそう言いました。すると上の子は、塾はいらないと。下は今後の受験を考えて、オンラインの塾がいいと。塾代がそのまま食費に回せると思いました」
次男はカエさんの希望でピアノも習っていたのだが、その練習をする時間で、今やっているバスケに集中したいと言われ、それも了承した。
「私自身が、子どもにいろいろ押しつけていたんだなとよく分かりました。あとから夫と二人で話したんですが、『貯金の額も少し減らそう』と。将来が不安ではあるけど、今がなければ将来もない。家族でもっと楽しんだり、おいしいものを食べる機会を作ったりしようと。物価が上がり過ぎて、ひたすら倹約に走ったけど、一番大事なのは家族の心身の健康だとよく分かりました」
苦しい倹約生活から、楽しい節約生活へ
その次の週末、一家は久々に外食をした。そして翌月はキャンプへ。塊の肉を買ってバーベキューをし、息子たちが「もう食べられない」というほど食べた。「月に1、2回のちょっとしたぜいたくは必要ですね。あとは日々のささやかな工夫。さすがに鍋のまま、フライパンのまま食卓に出すのはやめました。肉も野菜も安いときに多めに買って冷凍保存するようにしています。夫や息子たちも手伝ってくれるので」
一人で倹約に必死だったときは、家族はあまり協力的ではなかったが、家族会議後は夫も息子たちも積極的に家事を手伝ってくれるようになった。
「苦しい倹約生活から、楽しい節約生活に変わった気がします。もちろん、社会の構造改革や給料アップは必須ですけど、今をどうやって楽しんで生活するかも重要。改めて、過剰な倹約、孤独な倹約をしてはいけないと自分に言い聞かせています」
意外なきっかけで家族関係がうまく修正されたようだ。