選挙に表れ始めた危険な兆候
社会というものはさまざまな問題を抱えています。政策とは本来、そんな社会を平和かつ安定的に永続させるのが目的です。今さえよければいいというわけにはいきません。むしろ今は多少我慢してでも、将来のために備えなくてはならないケースもあります。政策とはそうした社会づくりのためにバランスよく構成されるのが理想です。政府が国民に対して、そんな真摯(しんし)な姿勢で政策を提示してくれればいいのですが、聞こえのよい政策は選挙の前、都合の悪い政策は選挙の後というやり方を重ね、政策や公約への信頼性が低下したせいか、ここ数年、ある兆候が表れてきています。
それは、政策や公約には全く重きを置かず、候補者への“共感”だけで投票する人が増えてきたことです。
“共感”ベースで投票することの危険性
共感というのは日常の人間関係では大切な感覚ですから、友達なら共感ベースで選んでもかまわないでしょうが、政治家を共感ベースで選ぶとなると大変危険です。政治家というのは法律や制度を作る権限を持ち、社会の在り方を左右する権力を持ちます。選挙でその人に投票するのは、そうした権力を与えることと同じ意味。どんな政治をする人か、どんな社会づくりをする人かを表す政策(公約)を承知した上で選ばなければ間違いが起きる可能性があります。
「どんな政治をするか知らないけど何となく共感できるから」といって投票した相手が、当選後に戦争を始めるかもしれないのです。何をやるのか分からない人に投票するのは、当選後にフリーハンドを与え、何をしても受け入れますと言うのと同じです。
アメリカではトランプ氏を大統領に選んだ結果、彼に投票した人でさえ望まないようなことが行われています。アメリカを再び偉大にという、漠然として何ら定義されていない主張への“共感”で選んだことが、社会に惨禍をもたらしているのです。
「妥協点」探しが民主主義のポイント
民主主義(民主制)のことを多数決で決めることと思っている人もいるかもしれません。それは間違いというわけではありませんが、多数決というのはあくまで物事の決め方の1つに過ぎず、民主主義の意味を言い表すものではありません。私たちの暮らす社会では、100人いれば100人がそれぞれの事情を抱え、それぞれの考え方で生きています。同じ意見の人もいれば異なる意見の人もいますが、そうした人たち全体で社会は構成されています。
もし鉄道会社が特定の思想の管理下に置かれ、異なる思想の人は乗車お断りとしたり、水道局が特定の宗教の管理下に置かれ、違う宗教の人の水道を止めたりしたら、社会は成り立たなくなります。
そんなことにならないよう、さまざまな事情の人たちが折り合って共同で社会を運営していけるよう、長年かけて人類がつくり上げてきた政治形態の1つが民主主義(民主制)です。
民主主義のポイントは、立場や考えの異なる人との間にいかに「妥協点」を見つけるかです。100対0ではなく、できるだけ50対50に近づけるよう、いかに互いに譲歩し合うかが民主主義の理念の根幹です。
それを拒否する人たちが引き起こすのが分断です。自分と共感できる人たちだけで固まり、共感できない人を排除するのが分断で、その行き着く先にあるのが戦争です。
戦争も共感ベースで起こされる
アメリカは今、激しい分断で内戦状態のようになっています。政治理念で共感できないという理由で政治家含めて何人も殺害されています。日本でそこまでの惨事は起きていませんが、明日は我が身です。共感できる人だけを尊重し、共感できない人を排除することを繰り返していった先には、今のアメリカのように、社会の崩壊と殺伐とした生活しか待っていません。
そうならないためにも、政治家や政党に求められるのは、選挙目当てではない政策です。できるだけ分断を避け、異なる立場の人たちが折り合いをつけられるような政策を、選挙のあるなしにかかわらず、粘り強く打ち出していくことが、彼らには求められます。