施設に入所するお金はない
「コロナ禍に実母が大病をして、それをきっかけにわが家で母の面倒を見るようになりました。本当は施設への入所も考えたんですが、夫が『それはかわいそうだろ』と言ってくれて……。でも徐々に弱ってきた母は、現在要介護3、認知症もあって、面倒を見るのは本当に大変なんです」サヨさん(55歳)は、少し疲れた表情でそう言った。結婚して25年、二人の子は家を離れている。コロナ禍直前、夫が勤めていた会社が突然、倒産したこともあり、それからの家計は火の車だった。
「貯金を吐き出して子どもたちの学費を捻出、二人ともなんとか大学と専門学校を卒業して巣立っていきました。でもその後が大変でしたね。生活費にも事欠く状態で。すでに一人暮らしになっていた母も経済的に余裕はなかった。年金で施設に行ってもらうのは無理でした」
仕方なく引き受けた介護は4年になる。母は老いを感じさせはしたが、最初のうちは何でも自力でできていた。サヨさんも週に5回、パートで働いていたので、母が家事を手伝ってくれるのはありがたかった。
ケアマネジャーと反りが合わず
ところがここ1年半ほど、母は急速に心身ともに弱ってきた。今では昼間はヘルパーさんとデイサービスが頼りだ。要支援、要介護と介護ステージが上がっていく。「そのたびにケアマネジャーと話し合って介護の内容を決めていくわけですが、このケアマネがいい人なんだけど『サヨさんも大変でしょう。ストレスたまりますよね』『何でも愚痴ってくださいね。かわいそうな人を助けるのが私の仕事ですから』って。介護の仕事に関わっているくせに、家族を“かわいそう”って何だよと思ってしまいます」
このケアマネ、「私が母を在宅介護していたころは……」とやたらと自分の話を引き合いに出すのも癖で、「うっとうしいことこの上ない」とサヨさんはぶったぎる。
「あなたのときはそうだっただろうけど、私は違う。家庭状況も家族関係も異なるのに、全部、自分の価値観をあてはめようとしてくるからうんざりするんですよね。ケアマネがいつ来るかという予定を話し合うときは、この日は1時間でお願いしますと時間を区切るようにしています」
介護だけでもストレスがたまるのに、ケアマネからさらなるストレスをかけられるような気になると彼女は言う。
在宅看護も頼むようになって
「今まで大きな病院に通っていたんですが、通うだけでも大変なので、訪問医療に切り替えました。母も少しは気が楽になったみたいです」ただ、サヨさんの母はもうじき90歳になる。高齢者の常として、特に原因がなくてもその日によって体調に波がある。そしてある日突然、一気に具合が悪くなることもあるのだ。
「家で点滴をしてもらったんですが、その点滴を変えたりするために今度は在宅看護も必要となった。全てにおいて契約が必要なので、状況が変わるといちいち契約書を書いたりしなくてはいけない。ある日、ケアマネ、ヘルパーさんの会社の人たち、在宅看護の人たちが入れ替わり立ち替わり家に来たことがあるんです。いろいろな人が母に声をかけるんですが、それがストレスになったんでしょうか。その晩、呼吸困難状態になってしまいました」
結局は、救急車を呼んで病院に搬送される事態になった。近隣の大きな病院に運ばれ、在宅医療をしている医師からデータを送ってもらい、なんとか事なきを得た。
「本当に困ったとき、訪問医療とか在宅介護ってあまり意味がないような気がしますね。最終的に頼りになるのは救急車しかない」とサヨさんは言う。
先が見えないキツさ
「苦しんでいる母をそのままにはしておけない。本人が救急車を呼んでほしいと言うのに断れない。今は特に持病もないので、こうやって老いて衰えていくんだろうということは分かるけど、いつどうなるかが見えないのがこちらもキツいですね」自分の母親だから、夫に頼るのも遠慮してしまう。家で苦しんでいる状況を見ているのもつらいし、自分の時間や生活全てが犠牲になっている苛立ちも隠せない。
「介護は人を追いつめますね。自分が追いつめられている実感があります。なるべく客観的にいられるようにはしていますし、そのためにもパートはやめないつもりですが、いつか私が爆発してしまいそうな気もしています」
何十年も続くわけではないだろうとは思うが、自分もどんどん年をとっていく。子どもたちが巣立ってやっと自由が手に入るところだったのにと思うと悔しいと彼女は言う。だが自分の親だから、仕方ないと思ってもいる。一人っ子だから相談できるきょうだいもいない。
「疲れているけど憐れだと思われたくはない。その気持ちが私を支えているような気がします」
そう言ってサヨさんは小さくため息をついた。