みんなが笑う部長の軽口
「私のいる部署の隣の部に、とにかく軽い部長がいるんです。ダジャレ、軽口、機転が利いて何でも冗談にしてしまう。でもこの人、いざとなると部下をかばい、大きな困難も乗り越えてしまうタイプ。しかも部下の手柄を経営陣に訴えてくれるおとこ気がある。だから人気があるんです」ルリさん(39歳)は、笑顔で隣の部の部長をそう褒める。その部長、朝から会った人には必ず褒め言葉をつけ加えるそうだ。
「おはようのあとに、相手が若い男性なら『今日も爽やかでイケメンだね』、女性なら『今日もきれい』『センスがいいなあ』などなど。毎日のことなので、誰もありがたがってはいませんが、さらりと言うので決して嫌な感じはしない。たまたま部長が忙しくて、顔を合わせたのに言われないことがあると『部長、具合が悪いのかな』といううわさが出るくらい。まあ、ルーティンみたいなものだったんですよ」
中途入社の女性に「セクハラ」と言われ
そんな風習がある隣の部署に1年前、社長の紹介で入社してきたのがユカコさん(40歳)だ。20代は海外で仕事をし、30代は日本で外資系企業を渡り歩き、4カ国語に堪能で事務処理能力も交渉能力もあるという触れ込みだった。実際、仕事は抜群にできると誰もがすぐに分かった。「ただこの方、杓子定規というかムダを許さないというか。一番嫌いなのは『くだらない冗談』と言い切る。当然、部長の軽口なんか許せないわけです。朝から『ユカコさん、今日もすてきだね』と言われると『それ、セクハラですけど』とぶった切る。部長はしばらく『こういうことを言ってはいけない時代かあ』と嘆いていました。でも私たちは部長の軽口が楽しみだから、慰めたり励ましたりしていたんですけどね」
大きくない会社にとっては、部長よりユカコさんへの比重が高まっていったのだろう。
部長がおとなしくなってしまった!
その後、部長は会社からの注意があったようで、朝からの軽口が聞こえなくなっていった。「ユカコさんから社長に申し入れがあったようです。部長のセクハラ発言で仕事がうまくいかないって。彼女の力に頼るところが大きくなっていたため、部長は厳重注意を受けたそうです」
朝会っても、部長は「おはよう」としか言わない。以前のようなフロア全体がクスクス笑ってしまうようなダジャレも聞けなくなった。
「そのうち部長の顔色が悪くなっていき、ついには先日、休職が発表されました。どうやらうつ状態らしいです」
裏ではユカコさんが、チクチクと部長に嫌みを言っていたといううわさもある。
このままでいいはずがない
「私たちは部長を好ましく思っていたのに助けることができなかった。会社側だって部長にはいてもらいたかったはず。それなのにどうしてこういうことになったのか」ルリさんは同じ思いをもつ社員たちと話し合った。セクハラだと騒いだのはユカコさんだけだ。部長の明るい声が聞こえなくなった社内は、どこか暗くて物足りない。誰もがそう思っていたのに、誰も声を上げなかった。
「今考えれば、単にユカコさんが部長を“気に入らなかった”だけ。気に入らないからと大きな声を上げたら、彼女が仕事ができる上に社長の紹介だからって、他の人は黙るしかなくなった。いや、本当は闘うべきだったんだと思う。でも私たちは闘えなかった。いわゆる忖度(そんたく)をして、一人の人間を潰してしまったのかもしれません」
ただ、みんなこのままでいいはずがないと感じている。だがこれ、ルリさんの勤務先だけの問題ではないだろう。大なり小なり、どこにでも転がっている問題だ。
「正義」とは
何かがおかしい、声高にものを言う人が「正義」とは限らない。そんなときは、きちんと向き合って話し合うなり、こちら側も声を上げるなりしなければいけない。遅ればせながらそのことにルリさんは気づかされたという。「私たちは部長の復帰を願っていますし、彼のあの笑顔と軽口を待っています。部長にはすでに伝えてあるので、会社ときちんと話し合っていきたいと思っています。ユカコさんが分かってくれるかどうかは未知数ですし、どういう解決策があるのか分からないけど、気に入らないというだけで排除されるのはおかしいですから」
世の中、そういうことばかりだ。規律やルールは厳しくすればするほど、自分たちの首を締めることになっていく。