これは、優秀で熱心な先生ほど、4月の新学期から多くの業務を抱え込み、その疲労が5月・6月には限界に達してしまうためです。さらに、子どもや保護者との関わりの中で、心身ともに消耗してしまうことも少なくありません。
なぜ優秀な先生ほど5・6月につらくなるのでしょうか? 今回は、筆者自身の経験と学校現場の現実から、その背景を探っていきます。
<目次>
4月は最初から全力疾走
教員の仕事は、4月の新学期が始まる時点で、すでに業務が山積みです。子どもたちと新しい1年を始める準備だけでなく、学校運営に関わる会議や書類作成、全校行事の準備まで一気に重なります。筆者は小学校教員時代、体育主任をしていました。運動会や水泳大会、市の大会、マラソン大会など、年中行事がびっしり。これらの行事の準備だけでなく、ほかの先生とのスケジュール調整、保護者への連絡、当日の段取りまで全て担います。体育主任は「嫌われ役No.1」と冗談で言われるほど、業務量が多いポジションでした。
こうした重要な役割は、「この先生ならできるだろう」と期待されている、いわゆる“優秀な教員”に任されるのが常です。担任をしながら、行事まで引き受ける。4月のスタートから、まるで「重りを背負って走る」ような日々が続きます。
さらに、年度初めの職員会議や書類作成に追われ、自分のクラスの準備が後回しになることも珍しくありません。その結果、十分に準備ができないまま子どもたちを迎え、クラス運営も綱渡りの状態で始まってしまう。これが優秀な先生の4月の実情です。
ゴールデンウイークは「名ばかりの休み」
ようやく4月を走り抜け、「少しは休めるかな」と思うゴールデンウイーク。しかし、残念ながら教員にとって、ここも本当の休息にはなりません。中学校や高校では、部活動の大会や練習試合の引率でスケジュールが埋め尽くされます。また、忙し過ぎた4月に取れなかった家族との時間も確保しなければなりません。つまり、「休み」という名の裏で、形を変えた仕事や責任が立ちはだかるのです。
その結果、ゴールデンウイークが明けても4月からの疲労は解消されないまま、5月に突入します。疲れが取れない中で続く業務に加え、天候の変化や気温の上昇、そして目に見えないストレスがどんどん積み重なっていくのです。
さらにこの時期、子どもたちの様子にも変化が現れます。4月に緊張感を持って頑張っていた子も、5月になると少しずつ素の自分を出すようになり、問題行動が出始めることがあります。また、特別な支援が必要な子どもたちは、環境の変化や行事の多さから、さらに落ち着かなくなることもあります。
そして、こうした「手のかかる子」は、なぜか優秀な先生のクラスに集まる傾向があるのです。それは、「あの先生ならきっと何とかしてくれるだろう」と周囲が期待するからにほかなりません。
また、学習が進むと、授業についていけない子への対応が必要になったり、子ども同士の関係性が固定化してトラブルが起こりやすくなったりもします。
優秀な先生ほど、これら全てに真剣に対応しようとするため、5月・6月は「子ども対応で疲弊する」という構造が生まれてしまうのです。
5・6月は終わりが見えない山場
5月・6月は、教育現場にとって特に大変な時期です。運動会、プール、定期テスト、保護者面談、評価業務など、行事も業務も次々と押し寄せます。それなのに、この時期には「明確なゴール」が見えにくいという特徴があります。例えば、3学期なら「卒業」や「修了式」といったはっきりとした区切りがありますし、夏休みや冬休みの前にも明確な終わりが見えます。しかし、5月・6月は「このしんどさが、あと何日で終わるのか」が分からない。これは精神的に非常に大きな負担になります。
そんな中でも、唯一の希望は「夏休みまでもう少し」「6月にはボーナスが入る」といった、ささやかな光です。もちろん、ボーナスだけを心の支えにしている先生は少ないでしょう。しかし、それでも「報われた」と感じられる瞬間があるだけで、人は踏ん張れるものなのです。
ただ、優秀な先生ほど、夏休みも研修や研究、論文執筆などに時間を使ってしまいます。「休んでいい」と言われても、結局は次の仕事に取り掛かってしまうのです。それでも彼らが走り続けられるのは、何よりも子どもたちの成長を信じているからにほかなりません。
教員だって「しんどい」と言っていい
5月・6月は、教員にとって隠れたつらさが一気に表面化する時期です。特に責任感が強く、子どもと真剣に向き合う優秀な先生ほど、知らず知らずのうちに心と体にその負担を抱え込んでいます。でも、「しんどい」と言っていいのです。むしろ、今の教育現場に必要なのは、「先生自身が疲れていることを認められる雰囲気」ではないでしょうか。
先生も一人の人間です。だから、周りを頼ってもいいし、休んだっていい。それでもまた教室に立ち、子どもの前で笑顔を見せてくれたらいいと、筆者は思います。
教員のキャリアはもっと自由でいい
そして、もし教員を辞めたくなったのなら、辞めたっていいんです。教員不足が社会問題として取り上げられる一方で、実は教員の離職率は一般企業に比べて低いのが現状です。先生という仕事に憧れて教員になった人も多く、「辞めてはいけない」「年度の途中で投げ出してはいけない」という強い責任感や、「辞めることは負けだ」という固定観念があるのかもしれません。
しかし、選択肢が狭まると人は苦しくなります。教員を続けることも、辞めることも、どちらも等しく尊く、価値のある選択です。どちらかが「正義」で、どちらかが「逃げ」だなんて、決して言えません。
むしろ、教員一人ひとりが、自分の人生と向き合いながらキャリアを自由に選び取れること。そうした「多様な選択肢」があることこそが、これからの教育現場に求められる土壌ではないでしょうか。
教員にもっと柔軟なキャリアを
「学校で働き続けてもいい」「学校を離れてもいい」「また戻ってきてもいい」。このように、教員のキャリアの選択肢がもっと柔軟になれば、結果的に子どもたちにとってもプラスになるでしょう。教員自身が自分のキャリアをじっくり考え、さまざまな選択肢があることを知る。それが、今の仕事への充実感を高めることにもつながるはずです。
筆者は心から、生き生きと働く教員が増えてほしいと願っています。それが子どもたちの笑顔につながるからです。
多くの葛藤を抱えながらも、教室で子どもたちと笑顔で向き合い続ける先生方は、本当に尊い存在だと私は思います。