小説に描かれた19世紀の終身年金
19世紀の前半に活躍した英国の女流作家であるジェイン・オースティン(1775年~1817年)が年金について興味深い文章を残しています。
文学作品の中に描かれた年金制度のありがたみ
「…存命中に母親に何かしてあげたほうがいいかな。例えば年金とか。…100ポンドの年金があれば…楽に暮らせる」
だがファニーは、この案に賛成するのをためらった。
「そうね。一度に1500ポンド手放すよりはいいわね。でも、お義母さま(筆者注:ファニーの夫は前妻の子であり存命の母親は継母にあたる)があと15年生きたらどうなるの? 結局1500ポンド出すことになるわ」
「15年! でもファニー、彼女はそんなに長生きしないよ」
「そうかもしれないけど、人間って、年金が入ると、ずいぶん長生きするものよ。お義母さまはとても丈夫で健康そのものだし、まだ40前よ。それに、年金を支払うのは大変なことよ。毎年毎年支払わなくてはならなくて、逃れようがないんですもの。…うちの母は父の遺言で年金を3つも支払わなくてはならなかったの。
年を取ってやめた召使が3人もいて。…3つの年金を毎年2回支払わなくてはならなかったの。本人に毎回きちんと届けるのも一仕事だし、そのうちの1人はもう死んだって言われたのに、しばらくしてまだ生きているとわかったりして。母はほんとにうんざりしていたわ。…だから私は年金が大嫌いなの。年金の支払いなんてぜったいにご免よ!」
(ジェイン・オースティン「分別と多感」、中野康司訳、筑摩書房)
19世紀のイギリスでは年金給付を約束した側には大変な苦労が。もらえる側は寿命が伸びる?
ジョンは未亡人となった義母に一時金、または年金を渡そうと考えますが、強欲な妻のファニーに一蹴されてしまうシーンです。この時代のイギリスでは、私的な年金契約が存在していたようですが、年金給付を約束した側には大変な苦労がありました。ファニーが指摘しているように、受給者が想定外に長生きしてしまうリスク、受給者にきちんとお金を届ける手段、および受給者の生存確認といったことは当時においては大変厄介なことであったと容易に想像できます。
逆サイドから見てみましょう。年金給付を受け取る側にとっては、こんなにありがたい制度はないはずです。人間はいつか働けなくなるときが到来します。
特に労働者は元気であっても「定年」という仕組みで職から離れます。たとえ少額でも、生きている間ずっともらえるお金すなわち「終身年金」があれば退職後の生活の底支えとなるはずです。
さらに、ファニーが鋭く観察しているように、年金を受け取るようになると生活の質の改善や精神的な安定により寿命が伸びる効果もあるでしょう。
国民年金の給付の半分は税金で賄われており、保険料として納めたもの以上が返ってくる有利な仕組み
オースティンの時代から200年が経過しました。時を現代に戻しましょう。多くの国で終身年金は、国家を運営主体とし、全ての現役世代を加入者とした世代間の支え合いとすることで安定的な制度運営ができるという考え方が取られています。わが国においては国民年金(基礎年金)がそれに該当します。金融ネットワークのおかげで受給者の口座に効率的にお金を届けることができ、住民登録制度で生存確認も確実です。
この200年間の社会システムの発展は著しいものがあります。さらにわが国の国民年金(基礎年金)の給付の半分は税金で賄われており、受給者にとっては保険料として納めたもの以上が返ってくる有利な仕組みになっています。
この記事をご覧になっている方の中には、「生活が大変で毎月の年金保険料の納付などできない」という方もいらっしゃると思いますが、筆者はオースティンの時代から格段に優れたシステムとして発達した国民年金(基礎年金)に加入しない手はないと考えています。
生きている間、ずっともらえる公的年金はありがたい制度
一方、民間では生命保険会社が個人年金保険において終身年金を販売していますが、保険料が高いこともあり人気がないようです。民間の個人年金保険の加入者(世帯主)のうち、一生涯もらえる終身年金が占める割合は16.5%に過ぎません(生命保険文化センター「生命保険に関する全国実態調査(2024年度)」による)。
企業年金においては、厚生年金基金が全盛だった頃は終身年金が原則でしたが、確定給付企業年金や確定拠出年金(企業型)に移行した後は終身年金の提供が減少しています。
個人型確定拠出年金(iDeCo)においては、終身年金が選択できるのは運営管理機関によって生命保険会社の終身年金が提供されている場合に限られます。オースティンの時代と同様に民間の終身年金には課題が多いようです。
この機会に改めて国民年金(基礎年金)が終身年金であることの素晴らしさをかみしめていただければと思います。
教えてくれたのは……
陣場 隆(じんば たかし)さん
京都大学法学部卒業、ペンシルベニア大学ウォートン校MBA、三井信託銀行入社、国際金融部、国際企画部、融資企画部付、年金企画部、年金資金運用研究センター出向、三井アセット信託銀行公的年金運用部次長、証券営業部次長などを経て2006年末に同社退社。2007年より年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に勤務。調査室副室長、運用部長、調査数理室長を経て2020年定年退職。GPIF勤務の13年間で、運用機関構成の決定や基本ポートフォリオの策定を統括した。GPIFを定年退職後「今を生きる若い人たちに向けて年長者の知恵を伝えたい」という気持ちが強くなってきたため、執筆活動を開始