教員自身が抱く「良い先生」像の呪縛
教育現場には「良い先生」像に対する固定観念が根強く存在します。保護者の間でも、授業が分かりやすいなど以上に、“熱心な”教員を評価する傾向が顕著です。長時間働き、夜遅くまで児童生徒のために尽くす姿が「良い先生」の象徴とされているのです。 この価値観はさまざまな形で表れています。例えば、保護者からは「個々の児童生徒のために細やかに動いてくれる先生」「休日の部活動も率先して指導してくれる先生」「進路相談は夜遅くまで対応してくれる先生」といった期待が寄せられています。これらに応えようとする教員の姿勢が、結果として長時間労働を助長する一因にもなっているのです。教員時代の筆者自身もまさにそうでした。当時は仕事と割り切るのではなく、児童生徒のために寝食忘れて働いてこそ教員だ!という価値観を持っていました。
この価値観は教員自身にも深く内面化されています。多くの教員が自ら進んで長時間労働を選択し、それを美徳として捉えているのです。授業力向上のために休日を使って研修に参加したり、より良い授業のために膨大な時間を準備に費やしたりする教員も少なくありません。
しかしこれらの活動の多くは「残業」としては認められず、教員の自主的な取り組みとして扱われています。そしてこのような献身的な姿勢が、結果として教員全体の働き方改革を遅らせる要因となっているという皮肉な現実があります。
もちろんまずは社会全体の価値観を「何でもしてくれるのが良い先生」だというものから、「子どもの成長や自立をゴールとする意識を持っているのが良い先生」だというものに変えていく必要があります。
そして教育現場に必要なのはマインドセットによる意識改革です。求められている「良い先生像」を目指して“他人軸”で生きていくのではなく、教員一人ひとりが自分軸を持ってやりたい教育を見つめ直し、本当に必要な業務は何かを考える必要があります。そのためには各学校が教育のコンセプトを明確にし、それに沿わない業務は思い切って削減していく。そのような改革を進めることにより、教員が働きやすい環境ができて、結果として子どもたちの笑顔につながっていくのです。
前年踏襲の風土が根付く学校現場、新しい取り組みへの抵抗
学校現場は基本的に前年踏襲の風土が強く根付き、新しい取り組みを導入することに対して抵抗感が大きい方です。SNSやクラウドサービスなどの新しいツールを活用する教員は依然として少数派です。「去年もこうやっていたから」「前任の先生もこの方法でやっていたから」という理由で、非効率でも従来の方法を踏襲する傾向が強く見られます。また民間企業と異なり教育現場には「売上」という明確な数値が存在しないため、コスト意識が希薄になりがちです。具体的な数値目標がないことにより、業務の効率化やリソースの最適化といった観点が軽視されることが多く、現状維持を続ける傾向が強くなっています。
例えば、職員会議の資料作成においてデータの共有やペーパーレス化が進まず、大量の紙資料を印刷して配布する形式が続いている学校も多くあります。保護者への連絡方法も、一斉メール配信システムの導入が進まず、従来の印刷物配布に固執する例が見られます。このような保守的な姿勢が、業務効率化の大きな妨げとなっています。
特に管理職の立場にある教員は、自分たちが長年やってきたやり方が良いものだと考え、「今のやり方で特に問題はない」「変更によって新たな混乱が生じるかもしれない」という懸念から、改革に消極的な姿勢を示すケースが多く見られます。
しかし教育現場の持続可能性を考えると、少ない努力で最大限の成果を上げるための意識は必須であり、そのための仕組みづくりが求められています。若手教員の中には効率的な働き方を模索する動きも出てきており、それを管理職としてより後押しすることが必要です。
具体的にはICTツールの積極的な活用による業務効率化、会議時間の短縮、部活指導の外部委託、行事の精選などさまざまな取り組みが考えられます。これらの改革を進めるためには、管理職のリーダーシップと教員全体の意識改革が不可欠です。
筆者が運営しているコーチング塾の生徒であり現役教員の話によれば、ICTツール導入に関して学校に提案をしたところ現場は賛否が分かれたものの、管理職が後押ししてくれたことで導入ができたそうです。時代に合った情報を収集している若手教員の声を聴き、現場に取り入れることを推進する管理職がとても重要です。
筆者がコーチング塾を通じて関わる教員たちは、子どもたちの成長を心から願い、教育をもっと良くしたいという熱い思いを持っている人がとても多いです。そういった教員を生かすも殺すも管理職の関わり次第だということを、学校を改革できる立場にある方たちはしっかりと認識いただきたいと思います。