子どもを学童に入れてパート勤務を開始
娘たちを学童に入れて、まずはパートから始めた。専門的な技術をもっていたため、そのスキルアップを図りながらのパート勤めだ。「幸い、その職場でいろいろ教えてくれる人がいて、学校に通わなくても自然とスキルアップができました。あとは独学で頑張っていくしかなかった」
1日数時間の勤務から、週に3回6時間ずつと少しずつ増やしていった。
「働き出したことを夫に伝えたら、『そういうのって、普通、まずオレに相談しないかな?』と言われました。でも私が専業主婦のころ、夫は『こっちだってワンオペだよ。きみは仕事を続けると言ったのに』と言ったんですよ。だから働き始めたのに。
夫はものすごくモラハラするというわけではないんだけど、言葉の端々に『世帯主はオレ』『オレの稼ぎで家族は生活できている』という意識が見え隠れするタイプ。まあ、それも立派なモラハラだと思いますけどね。だから夫には何も言わないようにしようと私もだんだん心が頑なになっていった」
「扶養から外れる」と伝えたら夫は……
4年前、「いっそ正社員になれば」と会社が声をかけてくれた。まじめに一生懸命働いてきたことが報われた。ミエさんはようやく心に明かりがともったような気がしたという。「正社員になりますと返事をして、帰宅後、夫にそのことを伝えました。扶養から完全に外れるので会社に手続きをしてほしい、と。
すると夫はちょっと戸惑ったような表情になりました。『なんだか家族じゃなくなるみたいだな』って。何を言ってるんだ、この人はとムッとしました。自分が扶養しているから家族だと思っているんだろうかと。支配が及ばない感じになるのが嫌だったのかもしれないと感じてゾッとしました」
その後、夫は「きみが扶養を外れるほど稼ぐのなら、生活費は少し落としてもいいよね」と言い始めた。
「今でさえ夫がくれる生活費では足りないこともしばしばなんです。でも私は足りないと言いたくないから、自分の収入で補ってきた。家計全体を見ることもなく、出し渋る夫にはゲンナリしています。生活費は今まで通りでお願い、子どもたちにも今後、お金がかかるからと自分でも驚くくらい冷たい声で言いました」
扶養から抜け、ミエさんは脱力するほどホッとし、自分が自分に戻れたような気になったという。役割分担をしてきただけなのに、やはり「食べさせてもらっているという感覚を夫に植えつけられた」ことが苦しかったのだ。
次は「夫というストレッサーからも外れたい」
2年後、子どもたちが18歳になったら、もう一度人生を考え直そうとミエさんは決めている。定年は65歳だが、その先も会社にいることはできそうだ。あと25年は働けるとミエさんは言う。だったら離婚という選択肢もあるはず。「あの大恋愛は何だったのかと思うほど、結婚生活は味気なかった。特に子どもが産まれてからの夫は、私と子どもたちをやっかい者だと思っているのかと疑うこともありました。でも過去を振り返ってもしかたがない。先を見て、子どもたちの進路が決まったら、扶養を外れることに続いて、夫というストレッサーからも外れたい」
仕事を始めて本当によかった。あのまま専業主婦でいたら、私は今ごろ、メンタルを完全にやられていたかもしれません。ミエさんはそう言ってニッコリ笑った。