平安時代に花開いた色彩文化とは?
今回は、平安時代の貴族の装束について解説した後、日本独特の色彩文化を象徴する“四季のかさねの色目”を見ていきましょう。
男性の仕事着「束帯」は官位によって色が異なる
例えば、『光る君へ』の参議(朝廷組織の会議)のシーンでは、藤原道長(柄本佑)ら高官たちが黒い「束帯(仕事着)」で出仕する様子が描かれました。束帯は官位によって色が異なり、まひろ(紫式部・吉高由里子)の父・藤原為時(岸谷五朗)は、花山天皇(本郷奏多)の代に式部丞・六位蔵人に任ぜられたときは緑の束帯を、従五位下に任ぜられると赤の束帯を着用しています。男性の普段着は「直衣」と「狩衣」
男性の普段着は、屋敷に来客があるときなどに着る直衣(のうし)、よりカジュアルな狩衣(かりぎぬ)があります。『枕草子』の「あはれなるもの」の段に、後にまひろの夫となる藤原宣孝(佐々木蔵之介)の派手な服装を揶揄(やゆ)する記述があるように、若い頃は明るく華やかな色が、年齢を重ねると落ち着いた濃いめの色が好まれたようです。「十二単」は女房たちの正装
十二単(五衣唐衣裳・いつつぎぬからぎぬも)を着用したのは主に貴人の使用人である女房たち。藤原定子(高畑充希)は貴族女性の普段着である小袿(こうちぎ)、ききょう(清少納言・ファーストサマーウイカ)は十二単を着用しています。宮中では、自分より身分の高い人の前ではフォーマルな服装をするため、藤原定子も一条天皇(塩野瑛久)の御前では、十二単を着用するのです。鈍色(グレー)は喪服の色
藤原定子の母・高階貴子(板谷由夏)が亡くなったときは、鈍色(グレー)の喪服姿で、喪に服す様子が描かれました。鈍色は喪服の色なので、仕事着や普段着には取り入れません。平安時代の貴族の装束は、仕事着、普段着、喪服などのルールがあり、十二単や普段着では季節感を取り入れた配色が流行しました。今回は、平安時代の四季折々の配色の例を解説します。
春に着用するかさねの色目
春に着用するかさねの色目
紅梅(こうばい)、黄柳(きやなぎ)、桜(さくら)、壺菫(つぼすみれ)、躑躅(つつじ)、裏山吹(うらやまぶき)といった、春に咲く花々を表現したかさねの色目は、春に着用されました。色名の青は、現代の緑のことを指します。青(緑)を用いたかさねの色目は多くあるので、好まれる色の一つだったようです。
夏の着用するかさねの色目
夏の着用するかさねの色目
身分の高い貴族は、主に絹織物を着用したので、表地に白を使用すると裏地の色が透けます。透け感を楽しむという文化は、昨今、流行しているシアー素材に通じるところがあるかもしれません。
秋に着用するかさねの色目
秋に着用するかさねの色目
女郎花の裏地の青は布を染めた染色のこと。表地の経青緯黄は、経糸(縦の糸)に青、緯糸(横の糸)に黄色を用いた織色のことを指します。
冬に着用するかさねの色目
冬に着用するかさねの色目
季節を問わないかさねの色目
季節を問わないかさねの色目
平安時代には、四季の移ろいを服装の彩りに取り入れることで、日本独自の服飾文化が発展しました。性別や年齢などによって好まれる色はありましたが、男女差はあまりなかったようです。現代人にとって、かさねの色目は派手な色合わせに感じられるかもしれませんが、ベーシックな色づかいに何か差し色がほしいとき、かさねの色目を取り入れてみてはいかがでしょうか。
<参考文献>
かさねの色目 平安の配彩美 長崎盛輝著(青幻舎)
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