父親だけは成績のよさを認めてくれた
あまり接点のなかった父に、「東京の高校に行きたい」と告げた。中学時代のヒナさんの成績は申し分なかったから、思い切って言ってみたのだ。「すると父は、そうかそうかって。父だけは私の成績のいいのを認めてくれた。『男も女も関係ない。おまえは自分の得意分野を活かせ』と。それを自分の母親に言えないのが父の弱いところでしょうね。そのころ祖父が、行きつけのスナックで大騒ぎして警察に連れて行かれたりしたこともあって、家の中も荒れていたんです。祖父はアルコール依存症だったんだと思う。酔うと暴れて祖母を殴ったりもしていた。母は止めようとしませんでしたね。祖母が殴られているのをいい気味だと思っていたのかもしれない」
無理矢理家を出て、東京の親戚の元から高校に通い、いい成績で国立大学に入学した。実家のことにはまったく関心を持とうとしなかった。関心を持つまいと努力したのかもしれない。
「学生時代に祖父が亡くなりました。すると母はあっけなく祖母を施設に入れてしまった。弟も東京の大学に出てきたのですが、母はあとを追って弟のアパートに居座った。弟は逃げて学生寮に移ったので、母はあきらめて自宅に戻った。そんなこともあったそうです」
家庭を持つなど「そら恐ろしい」とも
家庭を持つなどというそら恐ろしいことはしたくない。ヒナさんはそう思って恋愛からも目を背けていた。「心はあげられないけど体だけのつながりならいいよ」と告白してきた男性に言って、ドン引きされたこともある。自分自身が歪んでいたと彼女は寂しそうに笑った。就職してからは仕事に全力を傾けた。30歳から付き合い始めた、2歳年下の彼によって、ようやく少しずつ彼女は変わり始めた。すでに自分が歪んでいるとは思っていたが、どこがどう歪んでいるのかわからなかったのだそうだ。
「カウンセリングも受けましたが、結局、自分の中で答えは出ていました。私自身が、産まれ育った家庭を再現するような気がして怖かったんです。結婚した夫を信頼できず、産んだ子を疎ましく思うような人間なのではないか、人間関係をまったく構築できない性格なのではないか……。そんな気持ちを彼が少しずつほぐしてくれた」
35歳で結婚、すぐに妊娠したとき、体調の悪さを感じながらも「子を持つことが楽しみになった」と彼女は言う。お腹の中で動いたときは、自分の子だけど自分のものではないとも確信した。この子にはこの子の意志がある、と。
「思い通りにならないこともあるけど、それは経験済み。むしろ私、耐性のある母親みたいです。あの人たちを反面教師にすればいいと開き直れた。親にしてもらえなかったことをしようとは思いません。自分の娘が何を欲しているのか、何を考えているのか、それをちゃんと知りたいと思っています」
それでもときどき不安になるとヒナさんは言う。あの祖母、母から自分が受け継いだものをきちんと整理、取捨選択できるのか。それが自分の人生に課された問題かもしれませんと彼女は少し晴れやかな顔で言った。