Q. 政治家の「記憶にない」は、脳科学的にありえることですか?
答弁でも取材でも「記憶にございません」。本当に記憶にないことはありえる?
Q. 「政治家はすぐに『記憶にない』と言いますが、健康で働き盛りの大人が出来事をそんなに忘れてしまうなんて、ちょっと考えられません。自分としては嘘だと感じてしまうのですが、『病気でもないのに、記憶が完全に消えてしまう』ということは、実際にありえるのでしょうか?」
A. 嘘の可能性もありますが、繰り返すうちに記憶が変化する可能性もあります
政治家が「記憶にない」という言葉を使うのは、残念なことではありますが、よく知られています。元をたどれば、1976年にロッキード事件に関する国会の証人喚問に証人として召喚された人物が「記憶にございません」という答弁を繰り返し、疑惑追及を逃れようとしたのが始まりだとも言われています。それ以降、疑惑を追及されたときに、真偽を明言しない常とう手段として定着してしまった言い回しともいえるでしょう。なぜ「記憶にない」というフレーズが好んで使われるのかという議論もありますが、ここでは本当に「記憶にない」ということがありえるのかという疑問について、脳科学的な視点も含めて分析してみたいと思います。
可能性は3つ考えられます。
- 本当に記憶がない、もしくはあいまい
- はっきり記憶はあるが、嘘をついている
- 元々記憶はあったが、繰り返し「記憶にない」と発言するうちに、記憶がないつもりになっている
以下で、順に解説します。
1つ目は、「本当に記憶がない」という可能性です。意外かもしれませんが、私たちの脳は、体験した出来事を、すべて一様に記憶するわけではありません。脳が記憶できる容量には限りがあるので、情報は選別して記憶されます。とくに嬉しかったことや怖かったことなどの印象深い出来事はしっかりと記憶されますが、何気なく通り過ぎていった普通の出来事や、無意識のうちにやったことなどは、意外と覚えていないものです。また、お酒を飲むと、記憶形成に必要な脳の海馬が一時的に働かなくなるので、飲酒中に話したことやしたことを何も覚えていないということは、健康な人でも起きうることです。
2つ目の「記憶はあるが、嘘をついている」というのは、都合の悪いことを認めたくない心理状態のときに、してしまうことです。本当に否定できるのなら「やっていません」とはっきり言えばいいようなものですが、そうすると後でもし証拠がそろって事実関係が明らかになった場合に、「偽証罪」に問われる可能性があります。そこで「記憶にない」というずるい表現で逃げている可能性も考えられます。
3つ目の「記憶はあったが、記憶がないつもりになってしまう」というのは、意外かもしれませんが、十分にありえることです。私たちの脳は、過去の記憶をたどって話すことを繰り返していると、過去の状況を思い出すたびに、元の情報が欠けたり新しい話が加わったりして、何かしら違うものに変化させてしまうという性質があります。言い換えれば、「何度も思い出して話す」という行為は、実は元の記憶を少しずつ壊すことに他ならないのです。一人の脳の中でも、まるで「伝言ゲーム」のように、何度も繰り返しているうちに、元とは全然違う話にすり替わってしまうことがあります。
何か事件が起きて容疑者が逮捕されたとき、警察の執拗な取り調べを受けるうちに、本当は何もしていないのに「私がやりました」と言って、本来はないはずの記憶で「自白」をしてしまうことすらあります。政治家が疑惑を追及される国会答弁などの場合はその逆で、本当はやった覚えがあったのに、何度も何度も質問されるたびに「記憶にない」と答えているうちに、本当に自分自身でも覚えがないことのように記憶が変化していくこともありえるでしょう。ただし、記憶が完全に「消去」されるわけではありません。「記憶にないと発言した」という新たな記憶が加わることで、過去の記憶が薄れていくのです。現在の国会では、同じような質問されるたびに「記憶にない」と発言すれば、その場をやりすごせるような証人喚問が繰り返されています。
脳の仕組みを考えれば、このような同じ質問と答えを繰り返し続ける証人喚問では、かえって本人を「記憶にない」気にさせる手助けをしているようなもので、まったく意味がないと筆者は思います。
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