コロナ禍で一気に体力が落ちて
当時はコロナ禍に入ったばかりで、環境が変わった上に、母は出歩くこともままならなかった。「私はほぼ在宅ワークとなりました。心配になって母のところに訪ねていくと、1日中、ぼんやり座ってテレビを見てる。地域のこともまだわからないから、散歩にでも行こうと誘っても動かない」
そうこうしているうちに、足腰が弱っていく。ユウカさんはそんな状態が心配になったが、母は「生きる気力」を失ったように見えた。
「やる気のない人間をどんなにせっついても無理なんだなと思いました。地域でこんなイベントをやってるよ、こんなカルチャーセンターがあるよと教えても腰を上げないんですから、なすすべなしという感じだった」
人生で初めてひとり暮らしをした母は、どう生活したらいいかわからなくなっていたのだろう。ずっと「人のためだけ」に生きてきた人は、自分のために生きる術を見失っているのかもしれない。
「越してきて1年足らずで、母は脳梗塞を起こして入院しました。見舞いにも行けない中、なんとか後遺症もなく2週間ほどで退院できたんですが、帰宅してもやはりあまり動こうとはしませんでした」
病院から地域包括センターにつながっておいたほうがいいと言われ、介護認定を受けたところ要介護1と判定された。
「最近ではテレビをつけているけど、見ているのかどうかもはっきりしないことがあります。あんなに読書家だった母が文字も読まなくなった。私と会話したいみたいなんですが、私は仕事で母だけにかまっていられない。『あんたはいいよね』と私の生活に嫉妬したり、『もう生きていても意味がない』とも言う。デイケアに行く予定も決めたんですが、いざとなると具合が悪いと言って行かない。ケアマネさんにも、どうしたいんですかと聞かれる始末です」
基本的に食事はユウカさんが作り、母のところで一緒に食べるようにしている。だが、仕事が忙しいときは、母にせめてご飯くらいは炊いてと言い置き、作り置きの惣菜などを並べておく。今は特にどこが悪いわけでもないのだが、母は自分のためだけの食事を作ることに抵抗があるようだ。だからご飯を炊いて、漬物くらいですませてしまう。
「このままだと栄養失調にもなりますしね。自分の人生、自分の生活をどう考えているのか聞こうと思っても、もういいよと言うばかり。それでいて自分の若いころの話を聞かせたりする。とにかく私が相手をしないと不機嫌になるんです。医師の判断も再度仰ぎましたが、認知症というわけではない。ただ、母の孤独感がうつ状態にさせているんだろうと」
そう言われてもユウカさんが仕事をやめるわけにはいかない。母の賃貸マンションも基本的にはユウカさんが支払っているのだ。
「私が疲れてきました。ヘルパーさんにも来てもらっていますが、基本的に母は社交的ではないので、なかなか人間関係が築けない。そんな状態が続いています」
最終的に子どもに頼るのは「間違っている」
人生、何があるかわからないし、最終的に子どもに頼らざるを得ない人生になるのは「間違っていると思う」とユウカさんは言う。「親はどうしたら子どもに頼らないで済むかを考えるべきですよね。冷たいようだけど、私は私の人生、まだ夢も希望ももっている。それを母に阻害されているような気がしてならないんです」
兄一家と一緒にいるのがつらいだろうと救い出したつもりだったが、母は結局は幸福ではないのだろう。そもそも自分の身近に引っ越しをさせたことが間違いだったのか。もっと一緒に過ごす時間をとるべきかもしれないが、それはむずかしい。実は日常に幸福を見いだそうとしない母親に問題があるのかもしれない、いや、そう考える自分は冷たすぎるのではないか。ユウカさんは毎日、揺れ動きつつ密かに自分を責め続けている。