自身も病気を宣告されて
2年前、チサトさんは定年退職となり、関連会社で週3回、仕事を続けることにした。あとの日はなるべく母のそばにいてあげようと思ったのだ。「でもちょうどそのとき、3歳年下の夫が転んで大ケガを負ったんです。入院しているころはまだよかったんだけど、コロナ禍だったこともあって早めに自宅療養に切り替えた。それがまるで介護でしたね。両足を骨折したのでなかなか大変そうでした。母のところへ行こうと思っても行かれなくて。同居している娘が週末は家にいてくれたので、実家にはまた週末だけになってしまった」
その間、母は人と話さない生活が長くなったせいもあり、会話での理解力が著しく衰えた。さっき言ったことを3回くらい繰り返すこともある。わかったふりをしていながら、まったく理解していないこともあった。
「イライラしてくるんですよ。でも怒鳴るわけにもいかない。常備菜を作って、ろくに話もせずに帰ってくることもありました。『そんなに不機嫌な顔を見せるなら来なくていい』と母が怒鳴ったときは、わかってはいるけど優しくできない自分をイヤな女だと思いました」
母の住む地域の包括センターに連絡をとり、介護の方針を決めた。ヘルパーさんが来ると、母は露骨にイヤな顔をしていたという。
「どうせあんたにとって私はただのお荷物だよね、と嫌味を言ったりしていましたね。すごく正直に言うと、心の中では早く死んでくれと願ったこともあります」
さらに半年前、チサトさんに病気が見つかった。早期発見とはいえガンにかかってしまったのだ。夫は言いづらそうに「しばらく実家に行くのはやめて、ちゃんと病気を治してほしい」と言った。わかってる、とチサトさんは夫にも八つ当たりをしてしまった。
「実家に行って、私も病気だからとは言えなかった。手術前に、来週は来られないからヘルパーさんを頼んだ。常備菜はたくさん冷凍庫に入っているからちゃんと食べてと言うと、『もう飽きた』って。確かに飽きるでしょうけどね、栄養のことを考えて食べてとしか言えなかった」
その日、母が排泄で粗相をした瞬間
手術後、10日で退院し、翌日には母の元へ行った。家事をしながら息切れがしてならなかったという。それなのに母は「おいしいものが食べたい」「どこかに連れて行って」とわがままばかり言う。ハイハイ、今度ねと受け流していたが、その日、母が排泄で粗相をした。「その瞬間、何かがブチッとキレちゃって。いいかげんにしなさいよって家を出てしまったんです。帰宅してからものすごく後悔して、母のケアマネに電話して話しました。泣きながら話す私に、ケアマネが『今すぐ手配しますから』と言ってくれ、その日来るはずのヘルパーさんを早めに寄越してくれたようです」
それを機に、彼女は母を施設に入れることを検討するようになった。姉が絶対に反対だと言うので、だったらあなたが面倒見てよと言ってやった。介護は、あまり仲のよくなかった姉妹を、さらに険悪にさせた。
「母は施設を嫌がっているんですが、私も体がきつい。私自身が、3カ月前に転んで足の靱帯を損傷しまして。ここで無理したら私自身が倒れてしまう。そんな危機感がありました。もう限界。そう思ったら先に進みましょうとケアマネに言われて決断しました。もう施設も決めてあります」
あとは母がそこになじめるかどうかだけが問題だが、なじんでもらうしかない。このままだと夫との関係もおかしくなりそうだし、母がいなくなればいいと思いながら壮絶な介護をすることになる。施設に入れるということに対して、自分の罪悪感などにかまっている場合ではないとチサトさんは言った。
母と自分の命と尊厳を守るためにはやむを得ないと思ったと、彼女はようやく少しだけ笑みを浮かべた。