夫への「まさか」からの怒り
「シンペイの妻ですが、親しくしてくださったんですねと静かに声をかけると、彼女は泣きながら『5年経ったら結婚してくれるって言っていたのに』と。おいおい、と周りが彼女を追い出そうとしたんですが、私は引き止めました。ちょっとこっちへと……別室に彼女を招き入れて話を聞きました。私だってひどく動揺していましたけど、真実が知りたかった」彼女は27歳、夫の勤務先で一緒に働くアルバイトだった。舞台女優をしていると話し、「シンちゃんはずっと私を応援してくれていました。私たち、心から愛し合っていたんです」と臆面もなくユリコさんに伝えた。
「信じられなかったけど、彼女は携帯を見せてくれました。そこには夫と彼女のラブラブメッセージのやりとりがあった。私は気分が悪くなって、思わずトイレに駆け込んで吐いて……。みんなが彼女を追い出そうとしましたが、私はどうしても夫が彼女と付き合っていると思えなかったから、もっと証拠をもってきてほしいと頼みました」
翌日、お葬式にもやってきて号泣していた彼女だが、シンペイさんからもらった手紙が同封されたアクセサリーや、メモにいたるまで持ってきた。
「ずっとまさかと思っていたけど、どうやら事実だと認めざるを得なくなりました。彼女に思わず『何を要求したいの』と聞いたら、彼女は『は?』と。『何かほしくて来たわけじゃありません。ただ悲しかっただけ』とつぶやいたんです。私はハッとしました」
彼女もシンペイさんを心から好きだったのだ。脅しに来たのではないかと疑っていた自分をユリコさんは恥じた。今さら不倫だと責めることもできなかった。責められるべきはシンペイさんのはずだからだ。
「その後、四十九日まで彼女からの接触はありませんでした。私は夫への怒りがなかなか鎮まらなかった。その間に彼女はアルバイトを辞めたそうです。私は四十九日に彼女を呼びました。夫が愛用していた万年筆やネクタイを見せて、ほしいものがあれば持っていってと彼女に言うと、泣きながら万年筆を選んでいきました。『お騒がせしてすみませんでした』と最後にお辞儀をして去っていった」
心の奥から湧き上がる孤独
息子たちは「いいのかよ、あれで」と怒っていたが、「彼女は確かに図々しかったけれど、彼女が悪いわけではない」とユリコさんは言った。「むしろ、まじめで愛妻家を自認していたシンペイが、結婚して20年経って外で女性と関係をもっていたという事実が、日に日に重く私にのしかかってくるんです。怒り、寂しさ、やるせなさ、孤独感……。子どもたちに悟られないよう、なるべく普通に暮らしていますが、本当は出勤するのもつらいほど心身が弱っているような気がします」
母がそばにいて何くれとなく面倒を見てくれているが、それでは満たされないものがある。ときどき体の奥から悲しみが押し寄せてくる。
「とにかく子どもたちの気持ちを考えて、『お父さんだって間違いを犯すことはある』と説明しましたが、それで納得はしないでしょうね、ふたりとも繊細な10代だし。私の気持ちの整理はまだまだ時間がかかると思います。今はとにかく日常生活を滞りなく進めていくしかない……」
裏切られたという一言では片づけられない。しかもどんなに問い詰めたくても夫はもういないのだ。だからこそ簡単に気持ちは整理できないだろう。
「時間薬といいますからね、私もそれに頼るしかないんだと思っています」
必死に我慢しながら、ユリコさんは今日も仕事に家庭にと精一杯頑張っている。