いち早く親の異変を感じ取れた
今年の春、母が軽い脳梗塞で入院した。食事中、ほんの一瞬、母の左手の力が抜けたのをサエさんは見逃さなかった。「母は感覚がないと箸を落とした。すぐに自分で拾って数分後には、『左手がしびれる』と言ったんです。もう大丈夫と言っていたけど、これはおかしい。救急車を呼んですぐに病院に搬送してもらいました。検査と治療が始まって、軽い脳梗塞だとわかりました。放っておいたらもう一度血管が詰まって、もっと大変なことになったかもと言われた。母は救急車を嫌がったから、私がいなければ病院には行かなかったかもしれません」
彼女がいたからすぐに治療することができた。それでも今も母は腕のしびれがあるという。今後も定期的な検査が必要な状態だ。
「こうなるとなかなか家を出られません。もともと兄は亡くなっているし、姉も結婚生活が続く限り、東京には戻ってこないと思う。私しかいないんですよね。30代半ばまでは『結婚してくれたほうが安心』と言ってましたが、最近は言わなくなりました。母は言葉にはしないけど、私がいるから楽しく暮らせていると思います」
「こどおば」とからかう人はいるけれど
30代前半の頃、サエさんは結婚を焦って結婚相談所に申し込んだことがある。何人もの男性に会ったが心惹かれる人はいなかった。30代半ばでは5歳年下の男性と恋に落ちた。だが相手は、親が反対しているという理由でいきなり連絡を断った。2年も付き合っていたのに。「そうこうしているうちにコロナ禍で身動きがとれなくなり、婚活もしないまま40歳になってしまったんです。でもこれでよかったのかもしれないと思うんです。周りはお気楽な独身実家暮らしと見ているとわかっているけど、他人は実態を知っているわけではありませんからね」
親のことを差し置いても一緒になりたいと思える人がいれば、結婚を拒むわけではないとサエさんは言う。そこまでの人と巡り会えていないのかもしれない。
「でも母が『孫がいたらねえ』と言ったこともあるんです。私を精神的に頼っているのに、そういう言い草はないだろうとちょっとムッとしました。すると母は『あなたの人生はあなたのものだから』って。『だったら孫なんて言わないでよ』と言ってしまいました。私だって子どもがいればよかったなと思うこともあります。まあ、それでも縁がなかったわけだし、この先どうなるかもわかりませんし。ただ、結婚や出産だけが幸せではないとも思っているんです」
“こどおば”とからかわれても、彼女はおおむね、自分の気持ちを大事にしながら生きてきた。親のために自分を犠牲にしているつもりはない。ただ、達成できなかったことが多かった人生でもあると今は考えている。それもまた、自分が選んだ人生なんでしょうけどねと彼女は小さくつぶやいた。