思いあたるフシはなかった
25回目の結婚記念日に、妻から……
「今年の6月、25回目の結婚記念日を迎えました」
銀婚式とはめでたいと言うと、セイジさん(52歳)は暗い表情で首を横に振った。
「珍しく僕は花を買って帰ったんです。妻はありがとうと受け取ったものの、その花をキッチンのシンクに置いたまま。早いところ花瓶に移したほうがいいと思ったので、僕、自分で花を活けたんです。妻はそれを横目で見ていました」
その後、妻とふたりで食事をした。いつものようにテレビをつけながら、特に盛り上がった会話もなかったが、それもいつものことだったから、セイジさんは気にもしていなかった。
「食事が終わり、片づけも終わるころ、僕はいつものようにコーヒーメーカーをセットしてコーヒーをいれた。妻の前に置くと同時に、妻から『これ』と紙を顔の前に広げて見せられました」
あまりに近かったから、一瞬、何を見せられたのかわからなかった。受け取って見ると、離婚届。しかも妻のところはサインしてあった。
妻からの「最初で最後のお願い」
「何これと思わず言うと、『サインして。最初で最後のお願いだから』と。悪い冗談はやめてよと言ったけど、妻は真顔だった」
セイジさんの脳裏に、この四半世紀のことが次々蘇ったという。
ふたりには就職したばかりの長男と、地方の大学に通う長女がいる。もともとセイジさんと妻は大学時代、同じサークルに属する友人だった。
「当時、妻は結婚したがらなかったんです。仕事で自己実現したいとも言っていた。でも僕は、完全に対等な関係の夫婦でいよう、ふたりでいい家庭を作ろう、仕事と家庭の両立は今どき当たり前だよと、彼女の気を引くために都合のいいことを言った。だから結婚したのに、あなたは私のことなど何も考えていなかったと、子どもが小さいころ不満をぶつけられたことがありました。
子どもがふたりになったとき、妻は退職したんです。仕事を続けるには多忙すぎた。そのときだって、僕か彼女か、どちらかがいったん仕事を辞めるしかないよねと話し合った。結果、彼女が辞めたんです。7年後に彼女は同業他社に就職したけど、キャリアが途絶えたことで苦労していたのは知っていました」
それでもあのときはどうしようもなかった。ふたりとも地方出身者で手伝ってくれる親や身内がいなかったのだから。
「妻が不満を持つとしたら、そのあたりのことだろうと思ったんです。だから離婚届をぼうっと見つめながら、『あのころは分担して生活していくしかなかったと思う』とつぶやきました。でも彼女は僕の意に反して、『もういいのよ、過去のことは。言ったって戻らないんだから』と淡々としていました。これから先のことを考えたら、ひとりになりたい。ただそれだけって……」
いきなりひとりになりたいと言われても……と、彼は頭が混乱した。