好意を無にする母
脳梗塞を起こしたとはいえ、母には深刻な後遺症はなかった。たまに手がしびれるというくらいで、自分のことはできるはずだった。だが、やはり実の娘と同居していることから、甘えが出てきてしまったのもやむを得ないことではあった。サヤさんがようやくパートに出かけられるようになると、母はひとりになるのを嫌がった。
「『私はここに友だちもいないし、あんたしか頼れないのに、よく私をひとりで置いて行けるね』と言うんです。でも私も遊びに行くわけじゃない、仕事だからと振り切って出かけるようになりました。地域のサークルなんかもあるし、駅の近くのスポーツジムも再開しているから入会してみたらと言うと、『コロナが怖くて外に出られない』と。夫が本好きで本もたくさんあるので、『読みたい本があったら出しておくよ』と言うと、『気持ちが落ち着かないから、本なんて読めない』って。ああいえばこう言うという感じでしたね」
思わず夫に電話をかけて愚痴を言うと、気にしないようにして、日常生活をなるべく楽しんでとアドバイスをしてくれた。
しばらくすると、パート仲間とたまには食事に行こうという話にもなる。
「母は食事の支度は完全に私に任せていました。何が食べたいかと聞いても『何でもいい』って。私が子どものころ、『何でもいいと言われるのがいちばん困る。食べたいものを言いなさい』とよく怒っていた母ですが、立場が変われば平気で何でもいいと言う。それでいて出したものには文句をつけるんです。パート仲間と食事に行くときも、『今日は帰りが遅いからひとりで食べて』と、朝からいろいろ支度をして、温めればいいだけにして仕事に出かけ、そのまま食事に行ったんです。楽しい時間を過ごして帰ってきてみると、夕食はほぼ手つかず。食べてないのかと聞いたら、『梅干しでごはんを食べた』と。何のためにあんなに忙しい思いをして支度をして行ったんだろうと思わずつぶやいたら、『作ってほしいとは言ってない』って」
母は私に「ありがとう」を言わない
いったい、何を望んでいるのかとサヤさんは思わず怒鳴ってしまった。日々、仕事から帰ってすぐに栄養を考えつつ夕食の支度をしていても、母は一度も「ありがとう」と言ったことがない。あちこちつついて、結局、料理を残すことがあっても「ごめんね」とも言わない。「ありがとうもごめんねも、強要はできませんから、私は何も言わないけど、心の中ではいつもイライラしていますね。このまま介護が必要となったとしても、私には無理。ときどき夫のところに泊まりがけで行っていますが、そのたびに母は『あんたが帰ってきたら、私が倒れていたりしてね』と嫌味を言う。限界が近いですね」
頼みの綱の夫は、任期が延びて、あと半年は単身赴任が続く。「自分のイライラを飼い慣らすのはむずかしいですね」とサヤさんは苦しそうな表情になった。