ヤングケアラーだったという女性が語る、辛すぎる過去
他に「やる人」がいなかっただけ
祖母を介護していたチズコさん(37歳)は、母の離婚にともない、母の実家で弟と4人で暮らしていた。祖母は彼女が中学に入ったばかりのころ脳梗塞で倒れて入院し、退院したものの介護が必要となった。母は朝から晩まで働いており、祖母の介護と4歳年下の弟の世話は自然とチズコさんが担うことになった。「母は、私に家事を押しつけておいて弟にはやらせるなと言う。『男の子なんだから洗濯なんかさせないでよ』って。そして弟には『あんただけは大学に行かせてやるから勉強しなさい』と言ってましたね。実際には私のほうがずっと成績はよかったし、弟は家事が嫌いじゃなかったんですけど。祖母の世話も弟にはさせなかった」
祖母は手を貸せば家の中を歩くことはできた。逆を言えば、手を貸さないと身動きがとれないということでもある。
「ときどきお手洗いに間に合わなくて漏らすこともありました。家の中が匂うから、全部きれいに掃除して床を拭いて、祖母をお風呂に連れていって洗って。ただ、私が学校にいる間はどうにもならないので、祖母を説得しておむつをつけてもらいました。祖母は『こんなになっても生きているなんて』と泣いていた。母は祖母の愚痴ひとつ聞いてあげなかったから、祖母もせつなかったと思います」
ただ、中学生だったチズコさんには、そんな祖母のつぶやきが疎ましかった。クラブ活動もできなかったし友だちと遊びにも行けない。それどころか集中して勉強する時間すらとれなかった。どこかに相談するという知恵も働かなかったという。
「祖母が死んでくれたらいいといつも思っていました。そしてそんなふうに思う自分を嫌悪する。祖母を支える手を離したらどうなるだろうと考えたこともあります。私自身もろくな死に方はしないだろうと思った……」
気持ちは後ろ向きになり、将来への展望がもてなくなった。それを母に言うのもためらわれた。ことあるごとに母は「私が働かないと食べられないのよ」とにべもなく言うからだ。
「そうか、私が死ねばいいのかと思ったこともあります」
チズコさんは当時を思い出したのか、とてつもなく暗い表情になった。
>ある日、帰宅したらトイレの前で祖母が……