薬が余ったときはどうやって捨てればいいのか
現代の医療は、日進月歩の医薬品によって支えられています。みなさんも、病気になったときに薬の力によって助けられた経験があるはずです。しかし、病院や薬局でたくさんもらってきた薬が余ったとき、みなさんはどうしていますか。
「Q. 病院で処方された薬が余ってしまいました。燃えるゴミとして捨てても大丈夫でしょうか?」で解説したように、薬はルールに従って廃棄すべきですが、「こんな小さな一粒の薬くらいなら、適当に捨ててもいいだろう」と軽視してしまう方もいるかもしれませんね。
ほとんどの薬は、炭素、水素、酸素、窒素などで構成される化合物で、燃やせば、水、二酸化炭素、窒素酸化物などに分解されるので、あまり問題になりません。しかし、たとえば粉薬をそのまま下水道に流してしまうと、生物に影響を与える形のままで、河川や海にばらまかれることになります。また、実は飲んだ薬も、その成分や代謝物は尿や糞便として排泄され、下水を経て、やはり環境へと影響を与えます。一人一人が扱う薬の量はごくわずかだったとしても、習慣的に世界中の人が医薬品を環境へ排出することが繰り返されると、その影響は決して無視できません。
薬は私たちの健康のために大切なものですが、近年は実際にたくさん使用される医薬品が自然環境に影響し、一部の生態系を脅かしている例も報告されています。
自然の植物の根が吸収? 合成薬の鎮痛薬「トラマドール」
トラマドールという薬は、1962年にドイツの製薬メーカーが作った合成品で、強い痛み止めの効果があることから、末期がんに伴う痛みや原因不明の慢性疼痛などの治療に用いられるようになりました。日本では1978年に筋肉注射剤が販売開始され、2010年からは経口剤が使用可能になっています。同じ鎮痛薬でも、モルヒネのような依存形成が比較的起こりにくいため、麻薬には指定されていません。このトラマドールという合成薬に関して、2013年に驚くべき論文(Angew. Chem. Int. Ed. 52(45): 11780-11784)が発表されました。フランスの研究チームが、アフリカのカメルーンに生育していたアカネ科の薬用植物Nauclea latifoliaという木の根に、トラマドールが存在しているのを発見したというのです。
薬の多くは、自然の植物や動物に含まれている成分を分析して、それを手本にしてより強力な化合物を合成して医薬品として応用されたものですが、トラマドールはそうではありません。網羅的に合成された化合物の中から選び出されたもので、お手本となった天然物があったわけではありませんから、「人工合成された薬が、後で自然界から発見されるなんて、すごい偶然だ!」と多くの研究者が驚きました。
しかし、よく考えてみると「天然に存在している化合物を見つけて同じものを人工的に合成する」ことよりも、「人工的に合成された化合物と同じものを自然界のどこかから見つけ出す」ことの方がはるかに難しいので、後者のケースが珍しいだけで、決してあり得ないことではありません。事実、フルオロウラシルという抗がん薬は、1950年代に人工的に作り出された代表的な合成医薬品ですが、2003年にその誘導体が中国南海の西沙諸島周辺で収集された海綿動物から見つかったという報告もあります(J. Nat. Prod. 66(2): 285-288)。
ただ、トラマドールのケースは、どうもそうではなかったようです。報告に疑問をもったドイツの研究グループが再調査した結果が2014年に報告されました(Angew. Chem. Int. Ed. 53(45): 12073-12076)。カメルーンのNauclea latifoliaの根にトラマドールが存在することは確認できたものの、同じ種の植物でもサンプルによってトラマドールの含有量にかなりの開きがあり、また不思議なことに、トラマドールだけでなく、哺乳動物の体内でできるトラマドールの代謝物までが見つかりました。さらに、同じ地域の他の植物の根や、水域からも見つかったとのこと。さらに調査すると、地域の人たちがトラマドールを過剰摂取していたうえ、家畜にもトラマドールを投与して過重労働をさせていたという実態が明らかになりました。つまり、人または家畜の尿及び糞便に含まれたトラマドールと代謝物が土壌や水に混入し、それを吸収した植物の根から検出された…というのが、事の顛末だったようです。
生態系への影響も報告されている「ジクロフェナク」
人工的に合成された薬のトラマドールが自然界に広がっているとしても、トラマドールによる具体的な被害はまだ報告されていないようです。しかし、同様に広く用いられている医薬品が自然界に広がり、実害が生じたと指摘されている薬があります。ジクロフェナクです。薬局で売られている『ボルタレン』『フェイタスZ』『エアーサロンパスZ』などの商品名の痛み止めの主成分なので、皆さんの中にもよく使ってるという方もいることでしょう。ジクロフェナクは、1960年代半ばにスイスの製薬メーカーで初めて合成された薬です。解熱・鎮痛・ 抗炎症作用が強力で即効性があることから、医療用および一般用医薬品として、世界中で用いられています。現在のジクロフェナクの世界消費量は年間2400トンを超えると報告されており、そのうち数百トンが人間のし尿中に残存し、処理施設のフィルターで除去されるのはそのうちの10%未満に過ぎず、残りは自然へばらまかれているそうです。2017年にオーストリア・ウィーンで開催された欧州地球科学連合年次総会で発表された国際研究チームの調査結果によると、世界の1万キロ以上に及ぶ河川で、欧州連合が定めた許容上限値の1リットル当たり100ナノグラムを上回る濃度のジクロフェナクが存在することが明らかにされました。
ネパールを中心とした南アジアでは、推計30万羽いたハゲワシが10年間で1000羽程度まで減少しました。動物の死骸を探し回って食べるハゲワシは、長い間ネパールでは「縁起が悪い鳥」とされていたため、当初はその数が減ってもあまり気にされていませんでしたが、いよいよ絶滅の危機に見舞われる水準まで個体数が減ったため、本格的な調査が行われたところ、その原因に挙げられたのがジクロフェナクでした。死ぬ間際にジクロフェナクを投与された牛の死体を食べたハゲワシは、腎障害、血清尿酸値の上昇、内臓性痛風(鳥類の病気)を起こして死亡したものと推定されました。これを受けて、2006年3月にインド政府は、家畜にジクロフェナクを投与することを禁止しました。2021年には、スペインで見つかったハゲワシの死体からジクロフェナクが検出されたとの報告があり、因果関係が示されました。今では、世界的にジクロフェナクが「環境への脅威」とみなされるようになりました。
ちなみに、ハゲワシの減少は、各地で野犬の増加をもたらし、人間が狂犬病の脅威にさらされているという指摘もあります。私たちが使用しているジクロフェナクが環境にどの程度の影響を与えているかは明確にされていませんが、いずれ自分たちに返ってくることを意識しながら、使い方や捨て方を考えるべきではないでしょうか。
適正使用と同じく大切な、薬の捨て方・処理方法
こうした問題は、トラマドールやジクロフェナクといった特定の薬だけの問題ではありません。抗生物質、抗血小板薬、ホルモン剤、抗精神病薬、抗ヒスタミン剤など、医療目的で使用された多数の薬剤が、自然界において野生生物に危険が及ぶ濃度で検出されているのです。薬の適正な使用は大切で、必要な薬の使用まで控えるべきだという話ではありません。ただ、起こりうる影響を知って、正しく薬を扱うことは、もっと多くの人が知っておくべきことでしょう。
もし余った使用期限切れの薬を、何気なくキッチンやトイレなどから下水道に流してしまったことがある場合、そのことが環境にどれだけ悪影響を与えうるのかを考え、改めて薬を正しく廃棄することの重要性を認識していただけたらと思います。また、今後は医療機関における下水処理の方法なども、検討していかなければならない課題だと思われます。