「家族のため」は意味がなかったのか
現在、大学4年生になった息子も似たようなものだ。バイト先で食事が出るからと、家ではあまり食べなくなった。「朝食のときに起きてきたから、食べるかと聞いたら、『いい。コーヒーだけもらう』と。手には菓子パンが握られていました。前の晩の帰宅時にコンビニで買ってきたらしい。そういうの食べないで、朝はご飯とお味噌汁にしなさいと言ったらうるさそうな顔をして逃げて行きました」
それを見ていた夫が、「今どきの若いもんは、朝からちゃんと食べようとしないなあ」とつぶやいた。
「『本当はオレもパンとチーズくらいでいいけどね、糖尿病予備軍と言われてしまったし』と夫が言うんです。それはお酒のせいでしょ、私の作る食事は栄養的にも完璧なはずだけどと言うと、『完璧が必ずしもいいとは限らないよ』って。家族から全否定されたような気持ちになりました」
20年以上、家族に尽くして、家族のためだけに生きてきたのに、誰も自分を褒めるどころか擁護もしてくれない。それがノリコさんには大きなショックだった。
「バツイチでシングルマザーの妹にその話をしたんです。そうしたら『おねえちゃんのしていることは正しいけど、ちょっとうっとうしいかもね』と言われました。『体にいいものを食べるのは基本かもしれないけど、忙しかったり面倒だったり、人の状況はさまざま。基本はわかっているけどできないことも多い。こうしなければいけないと思うより、もう少しゆるやかに考えたほうが楽じゃないか』と妹は言うんです。でも食べるものは人を作る上で最優先。だからすべて手作りにしてきたのに……」
自分の思いが誰にも理解されない。みんなずっと黙って私の作るものを食べていたけど、実は夫も子どもたちも「私を変わった妻、うるさいお母さんだと思っていたのかもしれない」と思うと、ノリコさんは体中の力が抜けるような思いだった。
「味覚は小さいころに決まるというから、なるべくいい素材を選び、何でも自分で作ってきたんです。すべて子どもたちの健康のため。それが無意味だとしたら、私は何のために頑張ってきたのか……。妹は『いつかわかってくれるよ』と慰めてくれましたが、いつになってもわかってくれないかもしれない」
とはいえ、ノリコさんは間違ったことをしてきたわけではない。今まで自分が信じてやってきたことを自分で肯定してもいいはずだ。自立していった子どもがまた実家で食事をしたとき、「これがお母さんの味だよね」と思う日はきっと来るはず。彼女の思いはわかるのだが、それが妙な「正義感」と「押しつけがましさ」を内包するから、家族は少し疎ましく感じているのだ。
「家族といってもわかりあえるものではないんですね。私がどんな犠牲を払って家族のために頑張ってきたのか、誰も思いやろうともしてくれない」
ノリコさんの怒りと絶望感はなかなかおさまる気配がなかった。