人生に躓いた私
母はそうやって彼女を支配し、都合よく使いながら「あなたはいい会社に就職して。私みたいな人生を送っちゃダメだからね」と言い続けた。「就活も頑張って、母が納得するような企業に入りました。ところが1年も経たないうちに挫折したんです。世間を知らなかったから社会人としての人間関係構築ができなかったし、上司に意見を言えと言われても黙りこくるしかなくて。友だち付き合いもろくにしてこなかった弊害でしょうね。今ならわかるけど、当時はどうしたらいいかわからなくて。結局、逃げるしか手段がなかった」
家に引きこもって無断欠勤を続け、会社は実質的にクビになった。部屋でひとり自分と向き合う日々を続け、とうとう母と対峙するしかなくなった。
「些細なことで母と口げんかになり、私、大暴れしちゃったんです。防犯のために置いてあったバットを振り回して窓ガラスをたたき割り、母が大事にしていた食器も全部割ってやった。母は私を精神病院に連れていこうとしました。ただ、そこで父が話を聞いてくれたんです。今まで私と話そうともしなかった父が。びっくりしたけど父にすべて話しました。父は『社会に出られる気力が生まれるまで家にいていいけど、母親の言うことは聞くな』と。私にとって父と母の立場が逆転したので、最初は戸惑いました」
そこから1年ほど、リナさんは自分の部屋にひきこもった。母とは顔を合わせないように暮らしていた。
「近所の図書館にはよく行きましたね。いろいろな本を読み、自分の人生を考えた。そして1年後にはアルバイトを始めました。『どういうアルバイトなの?』と母にしつこく聞かれたけど答えなかった。母はやたらと低姿勢になって、私の顔色を探ってくる。それがうっとうしかった」
自活するだけの経済力がなかったから、実家にいるしかなかった。だが徐々に気力も体力も戻ってきて、さまざまなアルバイトで自分を鍛えていった。
「本当に意外だったんですが、私は接客業がいちばん楽しかった。だから飲食チェーンでアルバイトを重ね、28歳のときにようやく飲食関係の会社に就職したんです」
それでも彼女は実家から独立しなかった。やはり心のどこかで両親の関係が不安だったのだ。弟はさっさと出ていってしまったので、両親を結びつけるのは自分しかいないと思ってもいた。
「就職してからは単なる間借り人の気分でした。母は最低限の家事をやるようにはなっていたけど、私は自分のことは全部自分でやった。食事も洗濯も。それでも親のことを気にかけていたんですよね、けなげにも」
母は見守るふりをしながら束縛してきた。彼女が就職した会社を探り当てて訪ねてきたこともある。リナさんは母を外へ連れ出し、「今すぐ帰らないと死んでやる」と激しい言葉を投げつけた。
再就職から10年たったとき、リナさんはようやくアパートを借りて独立した。両親の関係は自分が心配しても何も生まないとわかったからだ。
「自分の部屋を片づけて引っ越していくとき、ああ、やっとしがらみも捨てられると晴れ晴れした気持ちでした。引っ越し先は父には伝えたけど母には言っていません」
ところが不思議なこともあるもので、リナさんが家を出ていくと夫婦関係に微妙な変化が生じたらしい。あるとき父が「今度、お母さんとふたりで旅行する」と連絡してきたことがあった。
「私にしてみれば、『は?』って感じ。ふたりとも年をとってお互いしか頼れないと実感したんでしょうけど、今までの私は何だったんだと不快な気持ちにもなりました。私が離れることが夫婦を結びつけることだったのか、と」
そういうこともあるのかもしれない。親子はなるべく早く物理的に離れて、互いに「大人」として付き合っていくのが一番いいのではないだろうか。
「そこからは自分のことだけ考えるようにしています。もう少しキャリアアップしたいし、これから恋愛もしたい。まっとうな恋愛、したことないんですから。今が人生のスタート期だと思っています。出遅れたけど、私は私のペースで進んでいこうと思っています」
親に振り回され、さまざまな葛藤を経ながら、リナさんはようやく自分の快適な生き方を見つけたようだ。