公開スパーリングでの那須川天心選手(写真:山口フィニート裕朗/アフロ)
人は誰でも、1つの分野でキャリアを積んだり結果を出したりすると、次なるステップを考えるようになる。
世界のトップを獲ったスポーツ選手も同様で、引退して指導者を目指す選手もいれば、別の分野に新たに挑戦する選手もいる。
キックボクシングで数々のタイトルを獲得してきた那須川天心選手は、2月にキックボクシングからボクシングへの転向を発表し、4月8日のデビュー戦を勝利で飾った。元々キックボクシングでの戦績は無敗で前評判も高かった選手ではあるが、ライフキャリアの視点から見ても那須川選手の競技変更は成功するキャリアアップ術としていくつかの要件を満たしている。
自分の持っている専門性を特化し、次なる分野に移行せよ
ある競技のトップ選手が別の競技に挑戦する例は過去にもある。バスケットボール選手のマイケル・ジョーダンはNBA引退後プロ野球選手を、陸上100mで数々の金メダルを獲得したウサインボルトはプロサッカー選手を目指した。どちらも高い身体能力の持ち主ではあったが、新たな競技で成功するまでには至らなかった。さまざまな要因はあったと思うが、1つ挙げるとすれば競技の特性上「専門性の特化と移行」がうまくいかなかった。バスケットや陸上で培った技術や能力が、野球とサッカーでは生かし切れなかった。
ビジネスにおけるキャリアチェンジも、仕事を通じて培ってきた経験や能力の中で自分の強みとなるものを特化し、それを生かせる分野にうまく移行することは成功の鉄則である。
その点、那須川選手のキックボクシング経験の中で、「パンチ」という専門スキルに特化し、それを生かせるボクシングを新たな競技として選んだ決断は正しい。
一般の人からすると、キックボクシングからボクシングへの転向は「キック」がなくなっただけじゃないかと思われるかもしれないが、実はそんな簡単なものではない。ちなみに筆者自身もC級プロライセンスを所持していた元ボクサーで、現役時代はキックボクサーと、キックなし・パンチのみのルールでスパーリング経験もあるが、キックボクサーにとってはキックがなくなった瞬間に別競技になる。まず相手との距離感がキックボクシングとボクシングでは全く違うのだ。これに対応するのは経験を積んだキックボクサーほど癖が抜けないので難しい。
しかし先日のデビュー戦を見る限り、那須川選手はパンチのみのボクシングのルールや戦い方に完璧と言えるほど対応出来ていた。これはキックボクシングで培ったパンチという専門スキルを特化して磨き上げ、ボクシングという競技への移行に成功したと言えるだろう。
「専門性の特化と移行」の良い成功事例である。
自分が求めるステージを用意してくれる環境を選べ
ある分野でトップを獲った選手ほど、次の分野でトップを目指せる環境を選ぶことは重要である。那須川選手はボクシングに転向した際の所属ジムとして「帝拳ジム」を選んだ。ボクシング関係者であれば、この決断だけで那須川選手がどこに標準を合わせているのかが分かる。それは日本国内ではない、世界だ。
日本一のボクサーを決める日本タイトルマッチであれば、国内のランキングさえ上げていければどのジムに所属していても試合を組んでもらえるだろう。しかし世界タイトルマッチといえば話は変わってくる。世界ランキングだけではなく、各国のプロモーターや競技団体との綿密な交渉力が必要となってくるのだ。
帝拳ジムはかつて、五輪の金メダリストからWBAの世界チャンピオンになった村田諒太選手が所属していたジムであり、世界戦のマッチメイクという点では国内トップレベルである。那須川選手が世界を目指す上で、最高の環境と言えるだろう。
ビジネスパーソンが他業界や他職種にキャリアチェンジする際も、どこの組織(企業)に所属するかは大きい。単純にその業界の大手企業であれば良いということはなく、それはそのキャリアチェンジの「目的」によって決まる。
より自由にその新たな職業での挑戦を楽しみたいのであれば、例え小規模であっても柔軟性と現場に裁量権がある職場を選ぶべきだし、その業界に影響や変化を与えたいのであれば、ある程度規模や影響力のある組織を選ぶべきだ。
那須川選手はボクシングがやりたいから競技を変えたわけではない。より強い相手と戦うために、そして世界のトップを獲るための手段として競技変更をしたのだから、その実現に最も力を貸してくれる組織とタッグを組むのはとても賢明な判断だ。
新たな分野の専門家から教えを得る
文句なしの那須川選手のボクシングプロデビュー戦であったが、試合を見ていて1つだけ違和感を持つ部分があった。それはセコンドに父でありトレーナーの那須川弘幸氏の姿がなかったことだ。那須川選手にとって父の弘幸氏は自身をキックボクシングの世界チャンピオンに育ててくれた恩師であり、親子二人三脚で世界に挑戦している姿が印象的だった。
てっきりボクシング転向後も、弘幸氏がそのままトレーナーとして指導し続けるものと勝手に思っていたら、デビュー戦で那須川選手のトレーナーとしてセコンドにいたのは帝拳ジムの元世界2階級制覇王者・粟生隆寛トレーナーであった。父の弘幸氏はセコンドにはおらず、観客席で観戦という姿に驚いた視聴者もいただろう。
これもキャリアチェンジの成功鉄則の1つと言って良い。新たな分野に挑戦するのであれば、その分野の優れた専門家を見つけ、教えを得るのだ。
父の弘幸氏もボクシングの指導は出来ただろう。しかし目的はボクシングで世界チャンピオンになることである。その点で言えば、その目標を2度も達成した実績のある粟生トレーナーからその経験も含めて指導を受けるのは当然のことだ。
例え1つの分野で優れた実績や経験があったとしても、そこにあぐらをかくことなく、他分野の成功者から謙虚に教えを得られるかどうかは、その新しい分野での成長を決めると言っても良い。
那須川選手のボクシングへの転向はまさに、成功するライフキャリアの3つの要素である、What(専門スキル)、Where(所属組織)、Who(パートナー)をしっかりと満たしているからこそ、成功する可能性が高いと言えるだろう。ビジネスパーソンのキャリアアップ、キャリアチェンジにもぜひ参考にされたい。