熟慮したからよかった
「私は熟慮したあげくの離婚でしたが、それでよかったと思っています」サチさん(49歳)はそう言う。29歳で結婚したとき、すでに妊娠6カ月だった。2年後にもうひとり産まれ、あっという間に4人家族となった。
「それなりに家庭はにぎやかで楽しかった。ただ、夫はあまり家庭を大事にするタイプではなかったですね。週末は接待と称してゴルフに行ってしまうし、平日はあまり家で食事をとらないし。夜中に帰ってきて、『お腹がすいた。何か作って』と言われることもありました。でも子どもたちが学校に入るまでは外に出る仕事はしないと決めていたので、あのころは24時間、主婦として母として休む暇がなかったような気がします」
下の子が小学校に入った10年前から、サチさんはパートに出るようになった。自分の収入があることで少しだけ精神的に余裕ができたという。
「それでも私の本業は母で主婦。とにかく子どもたちが大きくなるまでは、何があっても家庭を捨てないと心に誓っていました。夫は理不尽なことばかり言って私を責めるんです。子どもの成績が悪いのも、義父母が具合が悪いのも、すべて私のせいになる。それでもハイハイと答えて、すみません、ごめんなさい、わかりましたと言いなりになって、義父母のめんどうも見ました。子どもたちはそんな私を見ているのが嫌だったみたいですが、子どもたちの可能性を狭めることはしたくなかった」
どうがんばっても離婚したら、子どもたちを大学まで行かせてやれない。サチさんが離婚しない理由はただその一点だった。上の子が大学に入学した2年前、具体的に離婚を視野に入れた。そしてこの春から下の子が専門学校に通うと決めて学費を振り込んだとき、彼女は夫に離婚届を突きつけた。つい2カ月ほど前のことだ。
「夫は今、53歳。ちょうどこの春から下請けの会社に出向が決まったんです。実質、もう本社には戻れない。降格ですね。そこへ私が離婚と言い出したものだから、ガックリきたみたいです。ここで話し合うことができれば展開が変わるかもと、少し期待したんですが、夫の返事は『勝手にしろ』でした。じゃあ、財産分与を進めていいのかと聞いたら、弁護士を立てるからと言い置いて、夫は家を出て行きました。どうやら徒歩10分の実家に避難しているようで、80歳の義母から私はさんざん文句を言われました。でももう義父母のめんどうも見ないと決めています。上の娘には『お母さんって、いざとなると冷酷』と言われましたが、今が私の自立のタイミングだからねと言ったら、娘が親指を立ててましたよ」
自由への第一歩を、サチさんは納得の上、踏み出したところだ。「機が熟す」のを待ったからこそ、自由を謳歌できると彼女は爽やかな笑顔を見せた。