人間関係

小学生の頃からずっと。“家族に尽くす装置”であり続けた私がようやくつかんだ「出生の秘密」(2ページ目)

小学生の頃から祖母の介護をし、自分は成績優秀だったにもかかわらず大学進学をあきらめ弟妹のめんどうを見てきた女性。なぜ自分がここまで犠牲を求められるかの原因を探り当て、家族と絶縁しようやく自分のために生きていくことを決意した。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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弟妹のめんどうもみたけれど

成績は優秀だったし、彼女には留学や大学進学の夢もあった。だが、両親は高校卒業後は当然、働いてほしいと言い張った。彼女は地方公務員となり、仕事に慣れてきたころ、大学の二部に通って大卒の資格を得た。

「5歳下の弟、7歳下の妹がいたので、ふたりのためにも給料の大半は家に入れていました。弟が大学に入ったころ、私は夜間の大学に通っていて、しかも弟の学費は私持ち。なんだかなという思いはあったけど、もう親に逆らうこともできないような感じになっていたんですよね。私は家のために尽くすマシーンと化していました」

妹は志をもって専門学校へ行ったが、途中でリタイアし、行方がわからなくなった。その妹を探し出したのもリリコさんだ。水商売をしながら借金を背負って、なおかつ薬物のオーバードーズでボロボロになっていた妹を病院に入れた。病院や福祉関係者と話し合ううち、妹だけでなく「うちの家庭はおかしかった」と気づいた。

「弟はなんとか大学を卒業したものの、就職もせずに引きこもりました。就活がうまくいかなかったのでうつ状態になって……。母は、それさえも私のせいにする。父は家庭には関与しようとしない。私はなんのために頑張ってきたのかわからなくなりました」

そのころ、比較的仲良くしていたいとこを問い詰めて、ようやく出生の秘密を知った。

「私は父がよその女性との間に作った子でした。母はその女性を責めてケガまでさせた。結果、私の本当の母は自殺したそうです。それでも母は私が憎くてたまらなかったんでしょう。家政婦代わりにこき使ってやると言ったこともあったとか。すべてを知ったとき、自分の存在が周りの迷惑になっていたと知って、いたたまれなくなりました」

それでも彼女は、不幸の渦には落ちなかった。今までやれるだけのことはやってきた、もうこの家庭から卒業しようと思ったのだ。

「35歳のときひとり暮らしを始めました。親には住所も告げていません。職場の仲間や上司にもすべて打ち明け、私を訪ねてきても追い返してほしいと伝えました。幸い、職場の人間関係にはとても恵まれているのでみんな協力してくれて。その後、親から職場に手紙は届きましたが、実際来ることはありませんでした。もう私からお金を引っ張れないと思ったんでしょう」

絶縁して3年、ようやく彼女の心に平穏が訪れている。ただ、彼女は弟妹のことは心配をしていて、ときおり連絡をとっている。

「いつか3人で会えたらいいなと思っていますが、弟は相変わらず家から出ていないみたいだし、妹はタチのよくなさそうな男と同棲しています。でも、もうふたりとも大人なので、私にはめんどうを見きれない。冷たいと自分を責めることもあります。でも私はもうそろそろ、自分の人生を生きたい」

38歳。まだ若い。一生分の苦労はした彼女、これからは自分のために生きていいはずだ。自信はないけどがんばりたいと彼女は初めて笑顔を見せた。
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