これからは自分のために生きていきたい
やっとわかった自分の過去と母の気持ち
「私が母の本当の子ではないとわかったのは高校生のときでした」リリコさん(38歳)はそう話す。高校時代、交換留学でアメリカに行くことになり、パスポートを作るために初めて戸籍謄本を見た。彼女は「養女」となっていた。
「それまでも何度か、母の子ではないんじゃないかと思ったことがあったんです。うちには父方の祖母がいたんですが、私が小学生のときから足が悪くて不自由していた。祖母をお風呂に入れるのは私でした。その後、徐々に動けなくなっていく祖母をずっと介護していたのも私。中学時代はクラブ活動もせず、祖母のめんどうを見ていました。母が専業主婦だったにもかかわらずです」
彼女は一度、見てしまったことがある。母が祖母の枕を蹴飛ばしたのを。それ以来、母から祖母を守るつもりで介護していた。
「祖母と母の間に何があったのかわからないけど、祖母は私には優しかった。一方で母は私には家事や弟妹のめんどうをみろと命令したり、とにかく怖い存在でした。たぶん、母の子ではないんだろうと小学生時代から思っていた」
中学3年生のときに祖母が亡くなった。入院していた病院に、父母はほとんど来ず、毎日リリコさんが見舞いに行っていた。面会終了時刻まで祖母のそばにいたかったが、夕食の準備があるため帰らざるを得なかった。
「祖母の最後の言葉は、『リリちゃん、ごめんね』でした。何を謝ったのか……。父は最期を看取りましたが、母はその場にいなかった」
そのあたりの記憶は少し曖昧だと言いながらも、母が冷たかった印象だけははっきり覚えていると彼女は言った。
「私が養女であることはわかったんですが、父も母もそれについて説明してくれなかった。私もあえて聞かなかった。聞ける雰囲気ではなかったような気がします」
>夢をあきらめ、家のために尽くしたが……