その時、ほかにできることはなかったのか
どうしても婚家になじめなかった
「いきなり出ていくつもりはなかったんです。でもある日、急に何もかも嫌になり、私なんかいないほうがいいんだと思い込んでしまった。帰るに帰れず、人を介して離婚を選択するしかなくなりました」15年前、4歳と2歳の子を婚家に置いたまま家を飛び出してしまったミチヨさん(47歳)。27歳のときに5歳年上の男性と結婚、長男だった彼の実家で義祖母、義父母、義弟と暮らし始めた。一家の食事の準備、ほぼ寝たきりだった義祖母の世話、さらには産まれたふたりの子どものめんどうなど、家事育児のほとんどをミチヨさんが担っていた。義父母は畑を作っており、夫は近くの工場に勤めていた。義弟はアルバイトをしてはすぐに辞めて、家でギターをかき鳴らしているような暮らしを送っていた。
「義祖母の嫌がらせ、義母のクレーム、そして義父と義弟からのセクハラで、私は心身ともに疲れ果ててしまったんです。夫に言っても『文句ばかり言うなよ。大家族でにぎやかなのがいいと言ったのはきみだろ』と流されてしまう。大家族はいいけど、通りすがりに義父にお尻を触られたり、義弟には誰もいないキッチンで押し倒されたり。いいかげんにしてくださいと、義父を怒鳴りつけると、義母が『まあ、親を怒鳴るなんてたいした嫁だね』って。もう、めちゃくちゃな家でした」
子どもを連れて家を出ようと思ったが、ミチヨさんにはすでに実家がなかった。両親は彼女が20歳のときに相次いで亡くなり、きょうだいもいない彼女は天涯孤独に近い状態。逃げようにも受け入れてくれる場所がなかった。
「それに私と一緒にどこかへ行っても、子どもたちにはじゅうぶん食べさせてやることもできないかもしれない。婚家は裕福というわけではないけれど、ごく普通の生活はできる。大学まで出してもらえる可能性が高い。それに私は子どもを連れて生き延びる気力さえなくなっていたんです。子どもを道連れに消えたいと思っていた」
ある夜、夫と大ゲンカになり、出ていけと怒鳴られた。財布と携帯を持って彼女は家を出た。
>いつか置き去りにした子どもたちに