生まれつき備わっているものではない「微笑み」。幼い赤ちゃんでも微笑むのはなぜ?
「笑い」とは何でしょうか。いきなり答えを言ってしまうと、「共感や安心の表現形」です。
自分が喜んだり満足したり安心したときに、思わず顔の筋肉が緩む。逆に、相手の表情が穏やかになったのを見て、喜んでいるということが理解できる。そうして、笑いは、言葉によらないコミュニケーション手段の一つとして重要な役割を果しているにちがいありません。
私たち人間の笑いには3種類あり(※1)、そのうちの第一の笑いは、いわゆる微笑み(英語ではsmile)で、脳の中の視床下部が関係している食欲、睡眠、性欲などの本能的欲求が満たされたときに沸き起こる満足感が基本になっています(※2)。もともと内面的に発生する欲求が体の緊張状態を生み出しており、それが満たされたときにリラックス状態(顔の筋肉の緊張が解ける)へと切り替わるので、穏やかな笑いとして表現されます。おいしいものを食べたときに思わず笑顔になるのは、その典型です。
このタイプの笑いは、老若男女問わず、私たち人間に共通したもので、まだ言葉も理解できない幼い赤ちゃんでも見られます。また、本能的欲求を司る視床下部や、「快」か「不快」かの価値判断を行う大脳辺縁系の扁桃体の機能は、多くの哺乳動物で共通していますので、イヌやネコなど身近な動物でも同じような感情は沸き起こっているはずです(※3)。ただ、顔の表情筋のつくりが人間とイヌやネコでは違いますので、見かけ上の笑顔は同じではなく、私たち人間から見ればイヌやネコが「笑っている」とは解釈できないかもしれませんが……。
いずれにしても、幼い赤ちゃんでも微笑むことができるのだから、笑いは生まれつき備わっているものと思われるかもしれません。しかし、実際はそうではないようです。
ある重要な知見があります。生後にネグレクトを含む虐待を受けて育った人の中には、自ら笑うことができないばかりでなく、相手が笑っていてもその意味が理解できない方がいるそうです。この事実は、「微笑み(スマイル)」が形成されるためには、経験と学習が必要であることを物語っているのではないでしょうか。
今回は、赤ちゃんを用いた心理学の研究を紹介しながら、「微笑み(スマイル)」が形成されるしくみを理解していただくことで、その背景にある人間同士の絆の大切さを一緒に考えてみたいと思います。
赤ちゃんの「顔の学習」のために大切な、周囲の人の「豊かな表情」
赤ちゃんを用いた有名な心理学研究の一つに、1960年代の心理学者ファンツが行った実験があります。乳児には、目の前にあるものを自ら積極的に見ようとする性質があるので、2つの図を左右に並べて提示したときにどちらを注視するかを比べることで、特定の図への好みや区別を明らかにすることができるという実験です。生後46時間から生後6カ月までの乳児を対象にして、柄がなく異なる色で塗られた円、幾何学模様や文字が描かれた円、そして人の顔が描かれた円を見せて比べたところ、顔のイラストを最も長く注視することが明らかとなりました。この結果から、生まれて間もない乳児であっても、人の顔を特別なものとして認知しているといえるでしょう。
どうして生まれつき「顔」というものが分かるのかは分かりませんが、その能力によって自分を助けてくれる存在を見つけることができます。人間は、脳が発達して頭でっかちになったため、他の動物よりも未熟な段階で生まれます(成長してからだと産道を通れなくなる)から、生まれてしばらくは自分では何もできません。生まれたばかりの子牛が自分で立ち上がり母乳を飲もうとするのとは大違いです。ですから、「自分を助けてくれる存在=顔をもった人」を探して助けを求めることが必須になるのではないでしょうか。
ただ、新生児は、目が開いても視力が弱いので、顔のようなものを見つけられたとしても、個々の顔を識別することまではできません。極端に言えば、お母さんだろうが、看護師さんだろうが、赤の他人だろうが、誰でもいいので顔を見つけたら、体(顔を含めて)の筋肉を動かして反応することでしょう。しかもこのとき参考にしているのは、顔の「輪郭」だと考えられています。つまり、顔の中にある目鼻口の配置や表情などは、まだ分からないということです。
しかし、顔の輪郭だけ参考にしていたのでは、いつまでたっても誰が誰だか区別できません。個々の顔を特徴づけている、輪郭の中にある目鼻口に注目するきっかけを与えるのが、「表情」です。カエルが動くものによく反応するのと似ていて、視力の弱い新生児は動きのある部分に注視します。周囲の人が表情豊かに見つめてくれることで、その赤ちゃんは、顔の「学習」を始められるのです。
赤ちゃんはどうやって「笑い」の意味を学んでいくのか
人間の表情は6種類あると言われます。下に示したイラストを見て、みなさんは感情を汲み取れますか? 答え合わせをしましょう。正解は、1. うれしい、2. 悲しい、3. 怒り、4. 驚き、5. 困惑、6. 嫌いーです。私の稚拙なイラストでも、心の動きがうまく伝わったでしょうか。さて、この6つの表情のうち、赤ちゃんが最初に学習できるのはどれでしょうか。そう、1の笑顔です。
私たち大人が赤ちゃんを見たときに示す表情は、たいてい笑顔ですね。いつも強面の人でも、幼い赤ちゃんを見ると、思わず顔の筋肉が緩んでしまいます。私自身も、生まれたばかりの我が子に初めて対面したとき、今までに出したことがないくらいの最高の笑顔で、自然と微笑みかけていました。微笑む大人たちの顔を見て、赤ちゃんはそれを真似ます。これを繰り返すことで、上手に笑うことや、笑顔の意味を学んでいくのでしょう。
では、なぜ大人は、赤ちゃんを見て微笑みかけるのでしょうか。そう、自分が赤ちゃんのときに、周囲の大人が微笑みかけてくれたからです。私自身も、生まれたばかりの自分の子どもに微笑みかけることができたのは、私の両親や周りの人たちが私に微笑みかけてくれて、その意味を学ぶことができたからです。私の両親が初対面で微笑みかけてくれたのは、祖父母が両親に微笑みかけてくれたからでしょう。また、私の子どもが将来親となったときには、きっと私の孫に微笑みかけてくれることでしょう。このように、微笑みという表情の学習は、親から子、子から孫へと、代々受け継がれてきたに違いありません。
電車や公園などでは、ベビーカーに乗せた幼いお子さんにタブレットを見せながら、ご自身もスマホをずっと見ているような親御さんの姿を見かけることもあります。忙しい子育ての合間の息抜きなのかもしれませんが、もったいないなと私は感じます。親子の絆を深めるためにも、お互いが顔を見て表情豊かに交流することの大切さを見直していただけたらと思います。
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