2年後に母が倒れて、トラブルが表面化
サチさんは週に数回は母の様子を見に実家に通っていた。子どもたちが行くこともあった。母は元気で、習い事をしたり友だちに会ったりとひとりの生活を楽しんでいたが、ある日、サチさんが夕方、パートを終えて寄ってみると、「今日は、なんだか手に力が入らなくて」と手をさすっている。あわててかかりつけの病院へ連れていくと、軽い脳梗塞だった。「軽いとはいえ、2週間ほど入院してリハビリもして。左半身に少し麻痺が残ったので、家の中で転ばないように気をつけてと言われました。ヘルパーさんにも来てもらうようにして、なるべくひとりでいる時間を減らすように気を配っていたんです。そういうことを全部ひとりでやりました。弟は相談相手にもならなかった。『仕事が忙しくて申し訳ない。それに、オレが実家に関わると、リョウコの機嫌が悪くなるんだよ』と言ってましたね」
何言ってるの、あんたの母親なんだからねとサチさんは言ったが、弟は妻の顔色をうかがってばかりいた。
ところが半年ほどたったころ、リョウコさんが「今日は私がお義母さんを見てますから、お義姉さんは来なくて大丈夫ですよ」と言うようになった。あとからこっそり母に聞くと、掃除や洗濯もしてくれたという。
「改心したのかなと思ったんです。ちょうどそのころ、高校生の息子が交通事故にあって重傷を負ってしまった。一時は命の危険すらあったので、夫も私も息子にかかりきりになりました。数カ月後、ようやく回復したものの今度はリハビリが大変で……。母のことも気になってはいたけど、ときどきしか行けなかったんです」
そしてさらに数カ月後、母は再び脳梗塞を起こして帰らぬ人となった。どうしてもっと足繁く行かなかったのかとサチさんは泣き崩れた。
しばらくたって弟と遺産分けの話になった。
「そのときびっくりしたんですよ、預貯金はほとんどないし、母が大事にしていた指輪やネックレス、着物などもほとんどない。どうしたのかと聞いたけど、リョウコさんは『私は知りません。お義母さんが処分したんじゃないですか』としれっと言うわけです。
そんな話は聞いてないと怒ったら、『だってお義姉さん、ほとんど面倒みなかったじゃないですか』と。何を言っているのかと腹が立ちましたね。彼女が母のところに行くようになったのは、ほんの半年程度。その間におそらく家をあさり、キャッシュカードを使って母の貯金を下ろしていたんだと思う。でも『証拠はあります?』と義妹がすごむ。貯金通帳を見せろと言ったら『どこにあるのか知らない』と。カードを使っておろしたことはあるけど、母に頼まれたと言い張るんです」
母の財産をほとんど把握していなかったとサチさんは後悔するが、まさか義妹がそんなことをするとは思ってもいなかったのだ。弟に聞いたが、やはり「知らない」と言うばかり。弁護士を立てて、母の財産を全部調べ直そうかとも思ったが、夫は「お義母さんが息子の命を助けてくれたと思えばいい。これ以上、弟と揉めてもしかたがないだろう」と言った。
「私がぼんやりしているうちに、弟夫婦は実家に住み始めてしまったんです。いやいや、このままじゃ私は何ももらえない。せめて母が大事にしていて、私にくれると言っていたアクセサリーだけでも形見分けにほしいと言ったら、『そんなものありませんよ』と義妹はけんもほろろ。
『あんたたち、絶対に後悔するからね。お母さんが泣いてるわ』と捨てぜりふを残して母の普段着と、両親の位牌だけ持ってきました」
それからは義妹はもちろん、弟ともいっさい連絡をとっていない。つい先日、実家の近くに用があったので家を見に行ったが、父が亡くなってからずっと空いたままだった駐車場に、新しい車が停まっていた。
「悔しいです。でも母はきっとわかってくれる。いつかあのふたりにはバチが当たる。そう信じて、うちは家族仲良く暮らしていこうと思っています」
母が大事にしていたものをひとつでも手元に置きたかったと、サチさんは唇を噛んだ。