アルツハイマー型認知症に日本国内で処方される4つの対症薬
アルツハイマー型認知症の根本的な治療を目指して、新薬開発が進められています
2025年には700万人を超えると予測されている我が国の認知症患者。日本の認知症患者の半数は、アルツハイマー病が原因で起こる「アルツハイマー型認知症」です。
しかし現在の日本でアルツハイマー型認知症の治療に使うことができる薬は「ドネペジル」「ガランタミン」「リバスチグミン」「メマンチン」の4種類のみです。薬が効く原理や使い方などは少しずつ異なりますが、現れている症状を軽くするための「対症薬」であるという点では同じです。これらは患者さんや介護者の負担を減らすのに役立つものの、病気を治してくれるものではありません。
そのため、アルツハイマー病の進行を食い止めることのできる、根本的な治療薬の開発が長らく望まれていました。今回は、アルツハイマー病の根本的治療薬として期待されているアデュカヌマブとレカネマブについて、わかりやすく解説したいと思います。
アデュカヌマブ・レカネマブで期待される効果・違い・承認状況
「アデュカヌマブ」は、アメリカのバイオジェン社と日本のエーザイ社が共同開発した新薬です。先行してアメリカで提出された承認申請が審査されました。有効性や臨床試験の進め方に問題があったのではないかとも指摘され、大きな議論となりましたが、最終的には2021年6月に承認され、アメリカでは現在、軽度の認知症患者に限定して使用可能となりました。しかし、ヨーロッパ(EU)におけるアデュカヌマブの承認申請は、2021年12月17日に却下されました。また、日本では、2021年12月22日に開催された厚生労働省の薬事・食品衛生審議会の専門家部会で、「現時点のデータでは有効性を明確に判断することは困難」として承認が見送られました。次いで登場したのが、「レカネマブ」という、同じくアメリカのバイオジェン社と日本のエーザイ社が共同開発した新薬です。臨床試験において認知症の進行を有意に抑制する効果が認められたことから、2023年1月6日にアメリカでアルツハイマー病治療薬として迅速承認(※仮免許のようなもので、その後に有用性や安全性を確保するための検証的試験が必要とされている状態)を得ました。2023年1月9日にはヨーロッパ(EU)で、2023年1月16日には日本で販売承認申請が提出されました。そして、2023年7月6日ついに、アメリカで正式に承認されたと発表されました。日本での承認および発売は、早ければ2023年秋ごろに実現されるのではないかと注目されています。
アデュカヌマブとレカネマブは、どちらもアルツハイマー病の原因物質と目される「アミロイドβタンパク(Aβ)」に対する抗体薬で、Aβの悪影響を排除することで症状の進行を抑制すると考えられています。アデュカヌマブよりもレカネマブの方が有望視されているようです。
アデュカヌマブとレカネマブの違いについてより詳しく理解するために、アルツハイマー病とAβの関係をおさらいしながら、詳しく解説していきます。
アルツハイマー病の原因は? アミロイド仮説とAβ抗体薬の関係
アルツハイマー病の発症機序は、まだ十分に解明されていませんが、アルツハイマー病を特徴づける脳病変の一つ「老人斑」は、脳内で産生されたAβが蓄積されてできたものであることが分かっています。また、Aβは神経細胞に対して毒性を示すことがあることからAβが悪さをしてアルツハイマー病を引き起こすという考え、すなわち「アミロイド仮説」が提唱されています。アデュカヌマブやレカネマブのようなAβに対する抗体を使えば、Aβの悪影響を防ぐことができて、アルツハイマー病の進行を止めることができると考えられますね。
しかし、どうも話はそれほど単純ではないようです。
実は、Aβに対する抗体薬は、アデュカヌマブやレカネマブが初めてではなく、かなり前から世界中でたくさん開発され、患者さんに試験的に使用されてきましたが、確実に有効性を示せた前例がありませんでした。たとえば、初めてのAβ抗体薬である「バピネウズマブ」は、エラン社(アイルランド)とワイス社(アメリカ)によって共同開発され、多数の認知症患者を対象とした臨床試験の最終段階まで進みましたが、明確な有効性を示せず、2012年8月に開発が中止されました。ファイザー社(アメリカ)が開発したAβ抗体薬「ポネズマブ」も同様で、2011年11月に開発が中止されました。他にも、イーライリリー社(アメリカ)の「ソラネズマブ」、ロッシュ社(スイス)の「クレネズマブ」と「ガンテネルマブ」、グラクソ・スミスクライン社(イギリス)のGSK933776Aなども、臨床試験まで開発が進んだものの、すべて断念されました。
アミロイド仮説が正しければ、Aβ抗体薬がこんなにも失敗続きになるわけがない。アミロイド仮説そのものが間違っているのではないか。こうした疑念をもつ研究者が増え、アルツハイマー病治療薬の開発は、ここ10年くらい停滞していました。そこに登場したのが、アデュカヌマブとレカネマブです。もし、アデュカヌマブとレカネマブが本当に有効なのであれば、決してアミロイド仮説が間違っていたわけではありません。一体どう考えればよいのでしょうか。
Aβの形は一つではない? さまざまな顔を持つAβ
「アミロイドβタンパクとは…アルツハイマー病の原因物質と考えられている理由」や「アミロイドβは「脳のゴミ」?この考え方が適切ではない理由」で解説したように、Aβはアミノ酸40~43個からなる小さな鎖状のタンパク質です。アルツハイマー病の原因物質として注目されているので、発病した人だけの体内にあるように思う方が多いかもしれませんが、実は健常人の体内でも常に産生されています。私たち人間の細胞中には、遺伝情報を含んだ染色体が23対(46本)ありますが、そのうちの21番染色体上には、「アミロイド前駆体タンパク質(APP:amyloid-beta precursor protein)」をコードする遺伝子があり、これが翻訳されて作られるAPPは、アミノ酸が639~770個つながった大きなタンパク質です。このAPP に、特定のタンパク質分解酵素(βおよびγ-セクレターゼ)が作用して切断されると、Aβができます。また、「「脳のゴミ」ではない!アミロイドβが多い方が「認知症」リスクが低いのか」で解説したように、APPからAβが産生されるときには、γ-セクレターゼによる切断部位の多様性によって、異なるアミノ酸長のAβができます。特に、C末端アミノ酸がバリンで終わり40個のアミノ酸から成るAβは「Aβ40」、C末端アミノ酸がアラニンで終わり42個のアミノ酸から成るAβは「Aβ42」と呼ばれて区別されます。
さらに、Aβ40とAβ42はどちらも、APP から切り出された直後は、水に可溶性の単体(「モノマー」)として存在しますが、時間が経過すると分子どうしがくっつくようになり、2分子が結合した「ダイマー」や3分子が結合した「トリマー」などになります。さらに多くの分子が結合していくときには、Aβ40とAβ42の存在比率や周囲の環境の違いなどにより形状や性質の異なる多様な凝集体ができます。数十分子くらいまでのAβが、球状で可溶性のかたまりとなったものは「可溶性オリゴマー」と呼ばれます。50分子以上が結合し、線維に近い形になったものは「プロトフィブリル」と呼ばれます。最終的に、不溶性の巨大な線維になったものが「フィブリル」と呼ばれ、老人斑を形成します。
アルツハイマー型認知症を引き起こしているのは、どのAβなのか
従来のアミロイド仮説では、最終的に形成される不溶性のAβフィブリルを「犯人」と想定していたため、直接的にしろ間接的にしろ、結果的にAβフィブリルが形成されなければアルツハイマー病は進行しないだろうと考えられていましたが、近年の基礎研究から、老人斑に取り込まれた不溶性のAβフィブリルには毒性がないことが分かりました。では、どの形のAβが真犯人なのでしょうか。その答えはまだ確定していませんが、老人斑に含まれていない可溶性のAβオリゴマーや、不溶性の線維になる手前のプロトフィブリルが毒性を示す可能性が考えられています。線維化して老人斑に取り込まれたAβは、むしろ「無毒化された残骸」と見るべきでしょう。また、脳脊髄液中に溶ける形で分布している、比較的低分子量の「可溶性Aβ42」は、むしろ発症のリスクを下げる役割を果している可能性も指摘されています(詳しくは「「脳のゴミ」ではない!アミロイドβが多い方が「認知症」リスクが低いのか」をお読みください)。
アミロイド仮説(Aβが発症に関係しているという考え方)そのものは間違いではありませんが、Aβにはいろいろな形があり、脳に傷害を与えることもあれば、脳を守ってくれることもあるということを加味して、創薬研究を進める必要があるでしょう。
これまでに開発されてきたAβ抗体薬のほとんどがAβモノマーを認識して結合するものでした。そのため、毒性のあるAβ種の形成を阻害することができたとしても、発症のリスクを下げてくれるかもしれない有益なAβ種も妨げてしまうために、十分な有効性を示さなかったのではないでしょうか。
アデュカヌマブとレカネマブの臨床効果は? 従前のAβ抗体薬とは異なるはたらき
アデュカヌマブとレカネマブは、従前のAβ抗体薬のように、単純にAβモノマーを認識して結合するのではありません。アデュカヌマブは、可溶性オリゴマーを含むAβ凝集体と不溶性のAβフィブリルを認識し、レカネマブは、可溶性のAβプロトフィブリルを認識すると言われています。従前のAβ抗体薬では認められなかった有効性が、アデュカヌマブとレカネマブで証明できたとすれば、「可溶性の有益なAβ種は妨げない方がよい」という考えが裏付けられることになるでしょう。アデュカヌマブとレカネマブの臨床効果にどれくらいの差があるのかは、実際の患者さんに使用されたデータが十分に集まらないとわかりませんが、もし本当に明確な違いが見られたとしたら、異なる形のAβのどれが「有害な真犯人」なのかの答えが分かるかもしれません。具体的には、レカネマブがアデュカヌマブを上回る効果を示すならば、アミロイド仮説の中心をなす「真犯人」は「可溶性のAβプロトフィブリル」であると結論付けることができるかもしれません。
アデュカヌマブとレカネマブは、アルツハイマー病の患者さんを救うだけではなく、病気の原因を追究する基礎研究の側面から、特に長年議論されてきたアミロイド仮説の真偽に一定の決着をもたらしてくれると期待されます。