母親代わりを決意した日
妹は余命宣告をはねのけて生きたが、結局、5カ月目に亡くなった。離婚して母親の実家に戻った途端、その母親を失った子どもたちがかわいそうでたまらなかったとチヒロさんは言う。子どもたちの父親が、元妻の死を知って子どもたちを引き取ってもいいと言い出した。ところが子どもたちは父親と暮らすのは嫌だと言う。父親はすでに再婚していた。離婚届を出した翌日に婚姻届を出していたことも知った。
「子どもたちの心をますます傷つけそうで、新しい家庭には託したくなかった。なにより子どもたちが行きたくないと言っているわけだし。母は当時76歳。私も頑張るけど、お母さんも頑張れるかと尋ねたら『もちろん』と。だから私、実家に引っ越して、仕事をしながら子どもたちの面倒を見る決意をしたんです。子育ての経験はないけど、もう大きくなっているし、おばちゃんと暮らすのも悪くないと思ってもらえたらいいな、と」
それまで誰にも縛られずに気楽に生きてきたチヒロさんだが、子どもたちが大きくなるまでは「家庭重視」でいこうと決めた。
あれから2年、上の子は高校受験を控えており、下の子は中学1年生になった。チヒロさんはそれまで、姪・甥と伯母という関係ではあったが、ごくまれにしかふたりに会っていなかった。だから同居するには不安があった。それでもしっかりふたりと関係を作ろうと思ったのは、妹が悲し過ぎる人生を送ったからだ。
「それからはふたりの意志を尊重しながら、ときには3人で旅行したり、4人で映画を観に行ったりして過ごしてきました。勉強も私がわかる範囲で教えてきたけど、成績でとやかく言ったことはありません。本当の母親じゃないから成績のことを言わないんだと思われたくなかったから、『私は学校の成績より大事なことが人生にはあると思っている』という話もしました。とにかく精一杯、自分のやりたいことをやって、やりたいことに向かっていける子になってほしい。人生を楽しめる子になってほしい。そう思っていました」
ふたりが寂しいと思わないように必死で頑張ってきたが、つい先日、姪っ子が言った。
「チヒロおばちゃん、頑張りすぎないでねと。誕生日に、ふたりがお小遣いを出し合って私にとってもきれいなハンカチを買ってくれたんです。泣けましたね。私は料理なんてできなかったけど、ふたりが来てからレシピを見ながら、彼らの好きなグラタンや凝ったビーフシチューなどを作るようになりました。母は和食は得意だけど、あまり洋風のものは作らないので。ふたりの笑顔を少しでも見たい。そのためには何でもしようと思っています」
不思議なことに、彼らの笑顔を見ると、チヒロさん自身がパワーをもらった気になる。そしてまた、彼らのために何かしたいと思うようになるのだという。
「たまに彼らがわがままを言ったりするとうれしいんですよね。遠慮しなくなってきたんだな、と。今さらながら、子どもの世話ができるなんてありがたい。彼らが来たときは私も更年期でイライラしたり調子が悪かったりしたんですが、この2年、すっかりそんなことも忘れていました。それだけ必死で彼らとコミュニケーションを図ろうとしていたんだと思います」
50代での子育ては、ふたりの子と、もう一度自分を育てる旅でもあるとチヒロさんは言う。妹は不憫だったが、そんな機会が訪れたことを彼女は感謝していると笑顔になった。