「モルヒネ」の薬名、実は神話が由来…神話にまつわる薬の名前

【薬学博士・大学教授が解説】薬の名前は一見無機質で難しそうですが、名前の由来を紐解くとドラマチックな意味や背景を持つものも珍しくありません。比較的古い薬の中には、神話に登場する神々の名前に由来するものもあります。痛み止めとしてよく知られている「モルヒネ」もその一つ。効果・副作用とは少し違った角度から、薬の面白さをご紹介します。

阿部 和穂

執筆者:阿部 和穂

脳科学・医薬ガイド

薬の名前には意味がある! 隠れた背景を読み解く面白さも

薬の名前の由来とは?

薬の名前の由来とは?


みなさんが病院でもらった処方箋や、薬局で薬と一緒にもらう「お薬の説明書」にのっている薬の名前は、カタカナ表記で覚えづらいイメージがあるのではないでしょうか。しかし、「自分の薬の名前を覚えておくメリット・丸暗記せずに覚えるコツ」や「薬の名前がカタカナ表記だらけなのはなぜ?国産の薬でも英語名になる理由」でも解説した通り、それぞれの薬にはちゃんと名付け親がいて、意味があるのです。いつ誰がどうやって見つけたのか、どんな病気に効くのか、どんな特徴があるのかなどと合わせて、その薬の名前の由来を知ると、薬のことがより深く理解できるようになるに違いありません。

私が作成した『薬名[語源]事典』(武蔵野大学出版会)という本は、日本で用いられているほぼすべての薬の一般名の語源を解説している、世界で唯一の事典です。みなさんに少しでも薬の名前に馴染んでもらいたく、この事典から代表的な薬の名前の由来を紹介していきたいと思います。

「薬」という漢字が、「くさかんむり(艹)」と「らく(楽)」の組み合わせでできているように、薬は、植物を起源としたものが多いです。また、今でこそ私たちはたくさんの医薬品を利用することができ、何か病気になってもちゃんと治療薬が用意されているのが当たり前と思っている人がいるかもしれませんが、病気の原因が分からず、どうしたら治せるのか分からない時代には、薬はとても神秘的なものだったに違いありません。そのため、比較的古い薬の中には、神話に登場する神々から名前をもらい受けた薬もあります。

そこで、今回は、植物を起源として、神話にまつわる名前をつけられた薬を2つ紹介しましょう。
 

眠りの神に因んだ薬名「モルヒネ」

最も古い薬は何か。その答えは専門家でも迷うところですが、強い痛み止めの効果を示し、麻薬としても知られる「モルヒネ」はその一つでしょう。

麻薬とは何か?麻薬という言葉が持つ3つの意味」でも解説したように、ケシの未熟な実(いわゆるケシ坊主)に傷をつけて得られる白い乳液を乾燥させたものがアヘンであり、紀元前4000年ごろには古代スメリア人が眠り薬として使っていたという記録があります。5世紀ごろにはイスラム圏の交易網が発達し、アヘンはインドや中国、アフリカなどに伝えられ、11世紀ごろには再びヨーロッパに伝わり、医薬品として麻酔や痛み止めに用いられるようになりました。19世紀初めにアヘンから有効成分を初めて単離したのは、ドイツの薬剤師であるフリードリヒ・ゼルチュルナーでした。

アヘンがもともと眠り薬として用いられていたことに基づき、ゼルチュルナーは、自分が単離したアヘンの主成分に対して、ギリシャ神話に登場する眠りの神ヒプノス(Hypnos)の子である夢の神モルペウス(Morpheus)に因み、モルフィウム(morphium) と名付けました。後にその名は、オランダ語で morfine、そして英語でmorphineと変遷し、日本で用いられる和名は「モルヒネ」と付けられました。

余談ながら、私の好きな映画の一つ『マトリックス』(1999年米国、キアヌ・リーブス主演)にはモーフィアスという人物が登場します。主人公のネオを夢から現実へと誘う役割を果たしますが、モルヒネと同じ夢の神モルペウスにヒントにして作られたキャラクターだそうです。

また、睡眠薬のことを英語で「hypnotics 」言いますが、勘のいい方はもうお気づきでしょう。そう、眠りの神ヒプノスに因んで、眠り薬のことを hypnotic と呼ぶようになったというのも知っておくといいでしょう。
 

運命の女神に因んだ薬名「アトロピン」

ナス科の植物ベラドンナ(学名:Atropa bella-donna)は、ブルーベリーのような実をつけます。かつて、中世ヨーロッパの貴族の女性たちは、このブルーベリーのようなべラドンナの実の汁を目にさしてパーティーに参加していたそうです。なぜなら、この汁をさすと目の瞳孔が開き、キラキラ輝いて魅力的に見えたからです。

でも、目がきらきら輝いて美人に見えるなら自分もベラドンナの実の汁を目にさしてみたい…なんて思ってはいけません。もともとベラドンナは毒草で、目薬として使った場合でも、量を誤って死んでしまう人がたくさん出てしまいました。命をかけてまで目をきらきら輝かせるのはばかげているということで、まもなく、ベラドンナブームは廃れたそうです。

1833年ドイツの薬剤師P・L・ガイガーとK・ヘッセは、それぞれ独立してほぼ同時期に、ベラドンナの薬効を担う主成分を単離することに成功し、ベラドンナの学名であるAtropaに因んで、その薬をアトロピン(atropine)と名づけました。アトロピンは、副交感神経系の伝達物質であるアセチルコリンの働きを邪魔するために、アトロピンを投与すると副交感神経が機能しなくなることも分かりました。目の瞳孔は、副交感神経が働くと縮小するようになっているので、アトロピンの作用によって副交感神経が機能しなくなると、瞳孔が縮まらならなくなる、つまり開きっぱなしになるというわけです。日本でアトロピンが医薬品として発売されたのは、1947年と古く、副交感神経が過剰に働くことで生じる病状(胃腸のけいれんや有機リン系農薬中毒時など)を抑えるのに用いられてきました。

なお、ベラドンナの学名(属名)の Atropaは、ギリシャ神話に登場する「運命の三女神」のひとり「アトロポス」に因んでつけられたそうです。女神アトロポスの役目は、運命の糸をたち切ることでした。誤って摂取すると死ぬこともあるくらい毒性が強いベラドンナの学名を決めるときに、恐ろしい女神のイメージを重ねたのでしょう。ですから、アトロピンという薬の名前には「運命を断ち切る薬」という意味があるとも言えます。

ちなみに、ベラドンナという一般的な植物名は、学名の種小名にあるbella-donnaからきているわけですが、このベラドンナには、イタリア語で「美しい貴婦人」という意味があるそうです。
目にさすと美人に見えるけれど、誤って死ぬこともある有毒植物ーという特徴がよく反映された名前ですね。
 

丸暗記では見えない薬の背景……薬の起源の面白さ

今の私たちは、科学の力によって自由に薬を作り出せるようになったと思いがちですが、歴史をたどると、薬の源は自然の力によってプレゼントされたものであることに気づかされます。先駆的な薬の名前に、神様や植物、動物にまつわるものが多いのは、まさにその証でしょう。地名や人名、社名が含まれた薬名もあり、名前からその薬の歴史をうかがい知ることもできます。意味を考えずに丸暗記していた薬の名前に、意外な起源が含まれていることを知ると、とても親しみが湧いてくるはずです。

私の近刊『薬の名前には意味がある』(薬事日報社)は、そんな薬名にまつわる豆知識をまとめたエッセイ集です。興味のある方は是非読んでみてください。
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