お子さんが小5の終わりから小6にかけて不登校になった経験をもつ保護者に話を聞きました。
夫婦ともに公立中学出身で…… 不登校のきっかけは「中学受験」
「頑張り屋で負けず嫌いなところもありますが、明るく元気で友人関係も良好。体も丈夫で、親としても心配ゼロだった娘が、小5の終わりくらいからだんだん元気がなくなってきて……。次第に朝起きられなくなり、ついには学校に行けなくなってしまいました」と話すのは、山口まさこさん(仮名/40代/会社員でフルタイム勤務/夫と現在公立中学校2年生の娘さんとの3人家族)。原因のひとつは「中学受験やそのための塾通いだったと思います」と振り返ります。
山口さん自身もご主人も、 いわゆる“教育ママ・パパ”ではなく、娘さんに対して「いい学校に入りなさい」などと押し付けるようなことはなかったそうです。
しかし「中学受験熱が比較的高く、中学年くらいから塾通いを始める子が多かった地域に住んでいました。私も夫も中学受験は経験していなかったのですが、『娘にはさせたほうがいいのかな』と思い本人に聞いてみたところ、『やってみたい』と答えたため、いくつかの塾を見学し、小4の春から自ら選んだ中学受験塾に通い始めました」と、山口さん。
高学年になって塾の勉強が本格化。それまで通っていたダンスや習字の習い事をやめ、「週に4日塾通い」という生活になりました。
「教わる内容もだんだん難しくなってきて宿題も増え、親から見ても大変そうでした。何らかのサポートができればよかったのですが、その頃は仕事が忙しく、勉強をみてあげたり悩みを聞いたりなど子どもの受験にしっかり寄り添うことができませんでした。他の子のように塾弁を作る時間もなく、コンビニのお弁当ですませてもらうことも多かったです。
夫は夫で夜遅くまで勉強を頑張る娘に『まだ起きているのか。早く寝なさい』と叱ったりして、親子ゲンカになることもしょっちゅうでした。『中学受験は親の受験』という言葉をよく聞きますが、もしかしたら、私たちの『親としての覚悟』が足りなかったのかもしれないと、今になって思うこともあります」と、山口さん。
朝、布団にくるまったまま出てこない娘。中学受験の「撤退」を決めた
5年生の3学期くらいから、朝になると「おなかが痛い」と言うようになり、ポツポツ学校を休むようになったという娘さん。「学校は休んでも塾の宿題はやらなきゃ」と、家で勉強を続けていたといいますが、状況はさらに悪化。6年生になると、朝、布団から出られなくなってしまいました。
「『大丈夫?学校はどうする?』と声をかけても、無言で布団にくるまったまま。朝ごはんも食べようとしません。近づこうとすると、泣きながら『あっちに行って!』と言われることもありました。娘もつらかったと思いますが、私自身もどうしたらよいかわからず、とても不安でした。学校に通えない日々が続くなか、毎朝、欠席の電話をするのも大きなストレスでした」と、山口さん。
その後も状況は改善されず、夏休みに入る前に、娘さん、山口さん、ご主人、塾の先生と話し合いの場をもつことに。そして、塾をやめ、中学受験からの撤退を決めたのです。
「娘は最後まで『中学受験をあきらめたくない』という気持ちを抱いていたようで、志望校の見学も自らの希望で予約していたのですが、当日も起きることができませんでした。塾も休み続けていましたし、これ以上どっちつかずの状態が続くのはよくないと思い、『もう、塾通いも受験もやめよう。いちばん大事なのはあなたの体なんだから、まずは体を元気にしていこう』と伝えたら、彼女なりに納得したようでした」
中学受験をやめる決意はできたものの、不登校を続ける娘さんとどのように関わっていけばいいのか。スクールカウンセラーに相談したところ、小児精神科や思春期内科を紹介してもらったといいますが、「どこも予約でいっぱいで、初診が半年先とかばかり。どうしよう……と思いながらインターネットやSNSで相談先を調べたところ、不登校支援の活動をしているさゆりさん(仮名)という方が近所でセミナーを開催することを知り、参加してみることにしたのです。自身のお子さんも不登校だったというさゆりさんのお話にとても勇気づけられ、共感できることも多く、個別相談にのってもらうことにしました」
わが子の良いところを見つけて、ポジティブな言葉がけを心がけた
「頑張り屋の娘に受験勉強を任せきりで、何もサポートできなかった自分がいけなかったのではないか」「中学受験をさせようとしたのが、そもそもよくなかったのではないか」
これまでの状況についてさゆりさんに話すうち、涙があふれてとまらなかったという山口さん。
「さゆりさんは私の話をじっくり聞いてくれた上で、『お母さんは自分を責めず、今の娘さんをしっかり見てあげてください』と。『学校に行けなくても大丈夫。今の状況を悲観しなくてもいいし、あまり焦る必要もないから、できることをやっていきましょう』と言ってくださって、心の重荷が少しとれた気がしました。娘も個別でさゆりさんとお話ししたのですが、オンラインによるカウンセリングで気が楽だったこともあり、『楽しかった』と言っていました」 さゆりさんとのカウンセリングを重ねながら、子どもの良いところを探したり、自分自身の自己肯定感をあげるトレーニングを受け続けるうち、「娘との関わり方を少しずつ変えていくことができるようになりました」といいます。
朝ごはんが少し食べられるようになったら、「今日も全部食べられなかったの?」ではなく「今日は〇〇が食べられたね。よかったね」。モノを出しっ放しにしていたら、「ちゃんとしまっておかないと、なくなっちゃうよ!」と叱るのでなく、「ここに置いたら目に届くから、なくす心配がなくなるかもね」など、子どもの言動が自分にとってネガティブに思えてもそれをいったん受け止め、ポジティブな言葉に変換して声をかけることを繰り返すうち、娘さんが少しずつ元気になっていくのが感じられたそうです。
そして山口さんは、「子どもが学校に行かなくても本当にいいのかな?」と不安に思うことをやめました。
仕事が休みの日は、娘さんが行きたいというところに一緒に出かけたり、近くの公園を散歩したり、親子向けのマインドフルネスに参加などしているうちに、娘さんは次第に自分らしさを取り戻していったそうです。
絵馬に書いた願い「楽しい中学生活が送れますように」
小6のお正月。娘さんに、変化の兆しが見られました。初詣に行ったとき、絵馬に「楽しい中学生活が送れますように」と書き、奉納していたのです。「その姿を見たとき、直感的に『この子はもう大丈夫だな』と思いました」と、山口さん。
「2学期、3学期もほとんど学校に行きませんでしたが、朝起きられるようになり、食事もしっかりとれるようになっていました。そして、娘の口から自然と『中学校って〇〇だよね』などの言葉が出始めていたのです。もしかしたらこの時点で、娘なりに『中学校から再スタートしてみよう』と心に決めていたのかもしれません。学校は休んでいましたが友だちとのやりとりは続いていて、仲良しの子が同じ中学校に行くと知ったことも、心の支えになったと思います」
卒業式直前の展覧会では、図工の先生と相談し、卒業制作の課題に家で取り組みました。学校の図工室で最後の仕上げを行い、作品を展示してもらったそうです。
「娘は美術が好きなので、楽しんで取り組んでいました。小学校生活の最後の最後に自分が頑張ったことが形になり、本人も喜んでいました」
その後、卒業式にも出席し、春から地元の公立中学校に入学。陸上部に入部し、中学2年生になった今は、勉強と部活を両立させながら毎日学校に通っているそうです。
「正直、新しい環境の中でうまくやっていけるのか心配でしたが、毎日元気に過ごす娘の姿を見ているうちに、少しずつ『大丈夫かな』と思えるようになっていきました。現在中学2年生。この先、高校受験を控えているのに加え、家庭では、小学生時代にこじれた娘と主人との関係が改善されているわけではないのが気になるところではありますが、日々コミュニケーションをとりながら見守っていきたいと思います」と言います。
「今、子どもの不登校や行き渋りに悩む親御さんは多いと思いますが、大切なのは、一人で抱え込まないことだと感じます。子どもを責めず、自分も責めず、専門機関や周りの人に相談したり、話せる人に話すことが必要だと思います。私の場合、自身のお子さんの経験から不登校支援の活動をされているさゆりさんに出会い、相談し、適切なアドバイスを受けることができたことが本当に大きかったですね。これまでの自分を振り返り、親子の関わりを見直すことにより、娘の心の元気を少しずつ取り戻すことができたように思います」
現状だけをとらえて悩み、すぐに学校に戻そうとするのではなく、子どもの「今」に注目して受け入れること。親自身が不安や焦りにかられ、自分を見失わないようにするためにも、“信頼のおける第三者”に相談しながら、まずは親自身ができることを少しずつ積み重ねてみること。
学校に行けないことをマイナスに思わず、親がなるべく心を楽にしながら変わる努力をすることが、不登校からの回復につながるヒントのひとつになるのではないでしょうか。