子どもに愚痴を垂れ流す母
「私の母は、常に父の悪口を言っていました。確かに父は浮気もギャンブルもしていたし、家に給料をほとんど入れない時期もあったようです。私が小学生のころ、母は『うちにはお金がないから笛やハーモニカを買えないと先生に言いなさい』と言っていました。それはあまりにもかわいそうだと、伯母が買ってくれたこともあります。子どもを不安にさせる名人でしたね、母は」苦々しい顔でそう言うのは、ユウミさん(37歳)だ。両親と兄の4人家族だったが、6歳年上の兄が親をどう思っていたか彼女にはさっぱりわからない。ただ、彼女自身はいつも母から父の愚痴を垂れ流されていた。
「当然、おかあさんがかわいそうと小学生のころは思っていましたよ。父が母を怒鳴るところも見ていましたし。だけど中学生くらいになると、母がわざわざ父を怒らせるようなことを言っているのもわかった。高校生になると、母の物言いは人の神経を逆なですると私自身も感じるようになりました」
母はいつも人をネガティブに見ていた。たとえ誰かに親切にされても、「親切の裏には下心があるんだよ」という具合。人の好意を素直に受け取ることもなかった。
「母はパートで働いていましたが、私が小学校6年生のある日、なぜか忘れたけど夕飯になってもいないことがあったんです。心細くなって友だちの家に電話をしたら、その家のおかあさんが『うちにご飯食べにおいで』と言ってくれた。メモを残して出かけると、その後、母が迎えにきた。帰りながら母は『みっともないからよその家でご飯なんか食べるんじゃない』と怒りだして。おかあさんがいなかったからと言ったら、『人の家の子にご飯を食べさせるなんて、あの家は何か魂胆があるんだ』と。心から感謝することを知らない人だなと子供心にもわかりました」
だから大人になるにつれ、母と物理的にも精神的にも距離をとった。それでも母は父の悪口を毎日のように言った。高校を卒業していち早く社会に出た彼女は、さっさと独立したが、母はたびたび電話をかけてきた。留守番電話にしておくと、「あんた、いるんでしょ。あんたが聞いてくれないから、私は生きていてもしかたがない」と言い出す。脅しているだけだとわかっていても、受話器を取ってしまった。
>母親の「愚痴電話」攻撃で人生を狂わされ