人間関係

暴力や虐待ではない、ただ「自分に関心を持ってくれなかった」あの母は毒親だったのか?(2ページ目)

【毒親の毒は消えない #9】子どもの頃からずっと、母は感情的に寄り添ってはくれなかった。30代女性の話から見えてくるのは、明らかな暴力や虐待などでなくても「毒親」になる可能性があるということだ。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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リストカットした娘を見て

高校時代も同じような状況が続いた。もともと父親は優しい人だが、朝早くから働き、夜は早めに寝てしまう。ゆっくり話す時間がなかった。

「高校のときは夜更かしばかりして、学校にはしょっちゅう遅刻していました。自宅の裏から出ていくから、親は私が何時に出ていくかわかってなかったんじゃないかなあ。あるとき、夜中に自分の人生を考えていたら、何もかも嫌になってしまって、勢いで手首をカミソリの刃で切ったんです。鮮血があふれていくのを見たら、少し気持ちが落ち着いた」

それをきっかけに手首にいくつもの傷ができた。いつか母が気づいてくれるかもしれないとひそかに期待したところもあったのかもしれないと、ハルカさんは当時を振り返る。

「真夏のある日、母が私の左手首をつかんだんです。ついに気づいたかと思ったら、『こんなに傷が残って。半袖着ないほうがいいよ』って。え?そこ? 声が出ませんでした」

たまたまそばにいた父親がそれを横目で見ていた。母が席を外したとき、「大丈夫か」と声をかけてくれた。

「困ったことがあるなら言いなさいと言われたけど、自分でも自分の気持ちを持て余しているくらいだから、言葉にはできなかった。大丈夫と小声で答えました。『おとうさんは、きみが元気でいてくれるのがいちばんうれしい』と父はいつになくまじめな顔になっていました。父を裏切ったら悲しむだろうなと自然と思えた。だから、出席日数が足りなくなりそうな中、補習を受けてなんとか高校を卒業することができた」

1年浪人して大学に進学した。もう母親に期待はしていなかった。母の愛情だけを求め続けていたが、それはできない相談なのだと諦めの気持ちが強くなった。

「いつかわかる日が来るかもしれない、今は精神的に距離を置こうと思いました。母のことなど気にせずに私は大学生活を楽しんでいた。そして私が20歳のとき、母は突然倒れてそのまま還らぬ人になってしまったんです」

父が店にいて、ハルカさんと弟はそれぞれ通学。そんな時間帯に母はリビングで倒れていた。昼はいつも母が食事の用意をして父を呼びに行くのだが、その日はたまたま父が近所の寄り合いに出かけることになっていた。

「行ってくるよと声をかけて父は出かけて行ったそうです。返事はなかったけど、それも珍しいことではない。父が出かけるのはわかっているのだから、入れ替わりに店に来るだろうと父は考えていた。いつものことだから。結局、店にやってきたお客さんが誰もいなくておかしいと近所の店に話してくれ、そこから母が倒れているのが見つかりました。救急車が来たときはすでに心肺停止だったそうです」

母とはついにわかりあえないままだった。どうして自分に関心を持ってくれなかったのか、どうして共感してくれなかったのか。

彼女は4年前に結婚したが、うまくいかずに3年で離婚。相手に共感できないのは自分も同じなのかもしれないと考えている。

「あんなにあっけなくいなくなるなんて、ずるい。もう何も聞けないのだから。気持ちの整理もつかないまま、私は母からどういう影響を受けたのか、あの母は毒母だったのか、ずっと考え続けているんです」

考えてもどうにもならない。いや、どうにもならないからこそ考えてしまうのかもしれない。彼女の問題を根本的に解決することは、もうできない可能性もある。あとは自分が生きやすいように、「あの母」を認め、自分自身をも認めていくよう、思考回路を変えていくしかないのではないだろうか。
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