「頼りがい」がない夫
わかってはいたことだが、夫は「頼りがいがなかった」とマリさんは言う。もちろん、日常生活で自分が主導権を握るのは構わない。だが、子どもの保育園候補がふたつあり迷ったときに、夫は頼りにならなかった。相談には乗るが最終的な判断はマリさんに委ねるのだ。「夫の両親が近所に住んでいるんですが、彼らから持ち込まれた相談ごとも私に決断を任せてくる。何でも私の意見を聞いて、『その通りだよね』と採用していく。『マリが言うから』というのが夫の口癖で、私は責任をなすりつけられているような気がして不満でした。たまには決断してよと言っても、マリが言うなら間違いないよって。無責任だと怒ったこともあります」
5年前、マリさんの父親が急逝、母がひとり暮らしになった。マリさんには姉がいるが、遠方で家庭をもっているため母のめんどうをみるのはむずかしい。母はひとりで大丈夫と虚勢を張ったが、もともと持病を抱えているためマリさんも心配だった。
「うちから実家までは2時間近くかかるんですが、週に1回くらいは様子を見に行ける。ひとりで気ままに暮らすのもいいのではないかと思ったんですが、母はひとり暮らしをしたことがなく、とても寂しかったみたいです」
1年後、夫が「近くのワンルームマンションを買おうと思う」と、突然言い出した。わけがわからず混乱するマリさんに、夫は「お義母さんに来てもらおう」とニコニコしている。
「夫は私に内緒で、ときどき母を訪ねてくれていたんですって。母の本音を聞こうとしたみたい。母は遠慮しながらも、実は娘の近くで暮らしたいと本音を洩らしたそうです。ちょうどそのころ、夫の父が生前贈与をしてくれたので、そのお金で買おうと思ったみたい。いや、それはちょっとと私は遠慮したんです。実家は借家だし両親には財産もない。夫の丸抱えになったら申し訳ないし。すると夫は『マリは近くにお母さんがいたら困る?』というから、困らない、むしろありがたいけどと言ったら、『じゃあ、決めるよ』と。あんなに決断力がないと思っていたのに、これだけは素早く決めてくれました」
そして夫は毎月、マリさんの母親から5000円の家賃をもらうと決めたそう。家賃をもらえば立派な借主だからね、と。マリさんにも母親にも負担を感じさせないためだろう。
「母もまだ70代。こちらに来てからは子どもたちが学校帰りに立ち寄ったり、母自身も外に出て地域になじもうと自治体主催のカルチャースクールにも通って、以前より元気になりました」
そして夫はといえば、その大きな決断以降は、またいつものとおり「マリのしたいようにすればいいよ」という態度。
「でも振り返って考えたら、私が好きなように決めたことがうまくいかなくても、夫は私を責めたことはないんです」
頼りにならない夫だと思っていたが、実はテキパキとことを決めていく妻を尊重していたのだ。マリさんは心の中で手を合わせつつも、今も「たまにはあなたが決めてよ」「マリのいうことが正しいんだよ」というやりとりを楽しんでいる。
「母の一件では、心から彼に頭を下げて感謝しました。そうしたら夫は『そういうの、やめようよ』って。照れたんでしょうね。だからそれ以来、私も改めて何か言うのはやめました。今さら夫に、あなたは実はずっと私を尊重してくれていたのねなんて言うことを、夫が望んでいないとわかるから。うちはあくまで『頼りがいのない夫と、なんでも自分で決めていく妻』で成立している。夫はそのスタイルを貫きたいんだと思います」
途中で涙ぐみながらそう話してくれたマリさん。言葉には出さなくても、深い愛情がふたりを包んでいる雰囲気が伝わってきた。