記憶の種類と性質の違い……短期記憶・長期記憶・作業記憶
一言で「記憶」と言っても種類があります。「長期記憶」にも「短期記憶」にも分類されない記憶とは?
私たちは、一度体験したことを後で役立てるために、「記憶」という仕組みを備えています。そして記憶を担っているのは、言うまでもなく「脳」です。
また、記憶にはいろいろな種類があります。家族で東京ディズニーランドに遊びに行ったことを覚えているのも記憶ですし、日本の都道府県名を暗記しているのも記憶です。また、練習して自転車に乗れるようになったというのも記憶です。実は一言で「記憶」と言っても、記憶には種類があり、それぞれ性質や仕組みが違います。
記憶の分類法は、これまでにいろいろ提唱されていますが、現在もっとも広く受け入れられている分類法によれば、記憶が残る時間によって、大きく2つに分けられています。つまり「短期記憶」と「長期記憶」です。
たとえば、電話帳に載っている電話番号を見て電話をかけるとき、私たちは数字の並びを一時的に覚えます。しかし電話をかけ終わって間もなくすると、すっかり忘れてしまいます。これは「短期記憶」です。一方で、同じ電話番号に毎日繰り返し電話をかけていると、いつしかその番号を忘れなくなり、電話帳を見なくても電話をかけられるようになります。忘れない記憶として、脳に刻み込まれた状態で、これが「長期記憶」です。
しかし、この2種類の記憶とは、ちょっと違う形の記憶があることも分かっています。それが今回のテーマである「作業記憶」です。英語で「working memory (ワーキング・メモリー)」と言います。作業記憶は、短期記憶の一種であると考えられたこともありましたが、現在は、作業記憶は、短期記憶でも長期記憶でもない、まったく別の記憶であると考えるのが適当とされています。今回は作業記憶とは何なのかをわかりやすく解説しましょう。
作業記憶とは・その定義は? しりとりや暗算中に保持される記憶
作業記憶は、「理解、学習、推論など認知的課題の遂行中に情報を一時的に保持し操作するための仕組み」などと定義されています。しかしこれだけではよくわからないと思うので、具体例をあげて説明しましょう。みなさんは「しりとり」をご存じですね。「しりとり→りんご→ゴリラ→ラッパ→パイナップル…」というように、2人以上で交互に言葉の最後と最初をつなげていきます。たくさんの言葉を思いつくことも必要ですが、もう一つの大事なルールに「一度出てきた言葉は再度言ってはならない」というものがあります。これをクリアするには、次々とお互いが発した言葉のすべてを頭に入れていかなければなりません。このときに使われるのが「作業記憶」です。
認知症テストの一つに「100から順に7を引いた数を言ってください」というものがあります。93、86、79、72、65…と言えれば正解ですが、これをこなすには、100-7=93を暗算するのに続いて、その答えである93を頭に残しておき、そこからさらに7を引くという暗算をしなければなりません。さらに続けていくには、次々と出ててくる答えを忘れずに頭に残していく必要があります。このときに使うのも「作業記憶」です。
このように、一連の作業が終わるまで必要になる情報をきちんと頭に残していく仕組みが、作業記憶なのです。
作業記憶の保持時間はどれくらい? 意思次第で記憶の長さが変わる
作業記憶は、短期記憶とも長期記憶とも違うという点を補足しておきましょう。短期記憶として頭に入れた内容は、繰り返し使うことがなければ、だいたい数十秒から数分で消えてしまいます。完全に記憶から消える前に繰り返し思い出すなどすれば、無意識のうちに長期記憶になります。さきほど挙げた電話番号を暗記する場合などがわかりやすい例です。
これに対して、作業記憶は「作業を遂行するために必要な情報と判断して一時的に保持するもの」ですから、保持される時間は意思次第です。作業を続けている間に、自分の意思で何度も何度も思い出せば、その間はずっと保持しておくことができますが、作業が終わって必要ないと判断されたら、消えます。また、作業記憶は、何度繰り返しても長期記憶になることもありません。
コンピューターのRAMに相当する作業記憶
私たちの脳の仕組みは、よくコンピューターと比較されます。それは、そもそも私たちの脳の働きを機械で再現しようとして作られたのがコンピューターだからですね。私たちがイメージしやすい短期記憶や長期記憶などの典型的な記憶と、作業記憶の違いを理解するにも、コンピューターと比べるとわかりやすいです。コンピューターに少し詳しい方なら、記憶装置には、2種類あることをご存じだと思います。ハード・ディスク(HD)とRAMです。文書や画像を作成した後、消えてしまわないように長期保存しておく場所は「HD」ですね。一度HDに保存したデータは電源を切っても失われることなく残り、再び電源をつけてHDから読み出せば再現されます。一方、何か文書や画像を作成しようとして作業進行中に画面に表示されている情報はどうでしょうか。その情報はアプリを閉じない限りは、画面上に表示され続けています。最近のアプリでは、要らないと思って一度消去した情報でも、再び読出しすることもできます。しかし、アプリを終了したり電源を切ると、そのデータは残りませんね。このように作業中のデータはコンピューターに備わった「RAM」という装置に一時的に保存されています。
HDの容量が大きいコンピューターは、長期的にデータを保管する能力が高いと評価できます。一方、RAMの容量が大きいコンピューターは、作業効率が高いと評価できます。さくさく仕事がはかどるためには、HDよりもRAMの性能が高いコンピューターを選ぶのが良いとされます。最近は、パソコンのRAMを一般に「メモリー」と呼ぶことが多いですが、RAMは記憶装置というよりは、情報処理能力に相当すると考えた方がよいでしょう。
作業記憶は、HDではなく、RAMに相当します。「~記憶」と呼ばれるものの、実際には、脳の「判断実行機能」を担っているのです。
作業記憶は家事や仕事をてきぱきとこなすのに必要不可欠!
上では、作業記憶を使う例として、しりとりと暗算をあげましたが、作業記憶はありとあらゆる日常生活の中で必要とされます。私たちは、様々な仕事や家事をうまく行うために、複数の作業状況を把握しながら同時並行して物事を進めなければならないことがありますよね。作業記憶は、特にそのようなときに必要とされます。たとえば、料理は、作業記憶を必要とするもっとも知的な活動の一つです。
料理を作るには、献立を考え、必要な材料をそろえ、調理します。材料を買いそろえるにも、目的とする材料によって複数の店をまわり、もしなかったら何を代用するか臨機応変に感が無ければなりません。調理するときも、できあがりの時間を考えて何から始めればよいのか計画をたて、材料によって煮たり焼いたりと調理方法や味付けを変えたりしなければなりません。しかも異なる作業を手際よく同時進行しなければなりません。こうした一連の作業を首尾よくこなすには、自分がすでに何を行ったか、これから何をどのタイミングで行わなければならないかなどをすべて作業記憶として覚えておくことが要求されます。私自身、料理は得意ではないですが、てきぱきと料理を作れる人を見ると、本当に頭がいいのだなと尊敬します。
作業記憶を担う前頭前野の働き
そして、作業記憶を担っている脳の場所は「前頭前野」です。進化の過程で、私たち人間が最も発達させた部分です(詳しくは、「クイズが得意なら賢いのか?人間らしさと前頭前野のはたらき」を参照してください)。年を取って前頭前野の働きが衰えると、物忘れが起きやすくなり、仕事や家事がうまくできなくなったりするのも、作業記憶を前頭前野が担っている証です。