「いままで」と「これから」で大きく変化している「過渡期」に私たちは生活している?
私はいま、現代人が経験したことのない時代に突入しているのではないかと考えています。だとすると、これまで「家計の常識」といわれてきたことも大きく変わりかねません。すでに「いままでのやり方で本当にいいの?」「このままで平気?」と不安を抱える方が増えてきているのは、その表れではないかと思うのです。つまり、「いままで」と「これから」で大きく変化している「過渡期」に私たちは生活しているのではないでしょうか。個人の努力には限界がある? これからの家計を考える上で大事なことは?
世界人口の99%に当たる人の収入は、パンデミック下に減少
まず、いまの「経済」と私たちの「暮らし(家計)」との関係を確認しておきましょう。いまの「経済」は、「家計」にものすごく影響を与えます。雇用や給与水準、自営の方であれば売上(収入)に直接影響しますし、物価水準にも影響します。賃金や物価変動は、年金の支給額にも影響します。さらに、税収を通して国家財政にも影響を与えますから、私たちは「経済」の影響を受けずに生活できないといっていいでしょう。にもかかわらず、同時に「手に負えない」性格も持ち合わせています。つまり、個人で「景気を良くさせよう」と思ったところで、『生命保険を見直そう』と同じ具合にはなかなかできないわけです。これだけ家計に多大な影響があるにもかかわらず、選択肢といえば「(経済環境に)どう対応するか」といったところでしょう。
では、そんな少し厄介ないまの「経済」下で、一体どのようなことが起きているでしょうか。大きな利点は私たちの暮らしが豊かになった点です。戦後のモノのない時代を考えれば、多くの人が飢えに苦しむこともなくなり、清潔な服を着て、生活に必要なモノを手に入れられやすくなりました。
その一方で、世界中でみられる貧困・格差といった問題も同時に抱えています。いまの「経済」では社会からこぼれ落ちてしまう人が絶えず出てきており、その規模は収まるどころか、広がり続けています。まさに光と闇です。
国際非政府組織(NGO)オックスファムの報告書によると、世界の富豪10人の資産が、パンデミック前に比べて2倍以上に膨らみました(80兆円から170兆円に)。ところが、世界人口の99%に当たる人の収入は、このパンデミック下に減少したのだそう。加えて、もしこの10人の富豪が明日99.9999%の資産を失っても、地球上の99%の人よりも、なお裕福なのだそうです。
フランス人の経済学者トマ・ピケティ氏は、膨大な資料から、「r>g」を導き出しました。
「r」は資本収益率で、「g」は経済成長率です。つまり「r>g」は、経済成長するスピード以上に資産家はより裕福となっていることを意味します。これを受けてピケティ氏は格差解消につながる政策の必要性を強く提唱しました。
「富の再分配」を担う役割は政治にある
ですが、貧困・格差が解消されていないのはさきほどの報告書が示す通りで、お金(富)は、あるところには想像をはるかに超えるほどあるにもかかわらず、本当に必要な人のところへ行き渡っていません。何も「儲ける」ことが悪いといいたいわけではありません。問題は、「富の再分配」がきちんと機能していない点です。それが、いまの「経済」下で起こっていることです。本来、「富の再分配」を担う役割は政治にあるはずですが、日本の政府でいうと長年にわたって、こう公言し続けています。「経済最優先」と。社会保障改革よりも、アベノミクスなわけです。
実際、多くの国民の不安をよそに、社会保障改革は後手に回され続けています。公的年金に多くの方が不安を抱えているにもかかわらず抜本的な改革は進まず、それどころか「老後2000万円」のレポートが金融庁から出されました。その後取り消されたものの、「どの口が言う?」と思ったのは私だけではなかったと思います。
いま長期化しているパンデミックやなかなか終わらない世界紛争、相まって引き起こされている世界的なインフレ、さらに日本では地震などの自然災害も重なっています。株価も思わしくなく、「経済」がガタガタ揺れている中、多くの方が多少なりとも不安を抱えているのではないでしょうか。
世界的に金利が長期に上がらないいま、私たちは「経済」の大きな転換期に立たされている。これからのキーワードは「脱・経済成長」!?
いまの「経済」は、私たちの暮らしに大きく影響するにもかかわらず、個人レベルでできる手立てがないわけですから、不安に感じて当然でしょう。「経済」の体温と例えられる「金利」(経済が成長し、景気が良くなれば、金利は上がるものです)は、長期的かつ国際的に超低金利に落ち込んでいます。日本では10年近いアベノミクスをもってしても上昇に転じていません。私はこの現象を「『経済成長』の限界」ではないかと考えています。
政治家や中央銀行が人為的にがんばったところで、なんだかんだ「経済」は私たち生活者の消費活動がカギを握っています。特に人口減少や高齢化が進んでいる日本においては、「経済成長」し続けることに黄色信号が灯り、世界に先駆けて金利が低下していったと考えられないでしょうか(目先、インフレ対策として海外の長期金利は利上げされていますが、これは景気浮揚に伴う金利上昇とは性質は異なります)。
世界一の人口を誇る中国も、今年2022年から人口減少時代に入る懸念が浮上しています。一人っ子政策の影響を考えると、高齢化の進展も早いかもしれません。このように世界レベルでも「経済成長」が永続的と考えるにはムリがないでしょうか。経済活動の資源を供給し続けている地球環境も悲鳴を上げている気がします。
日本のみならず、世界的に金利が長期に上がらないいま、私たちは「経済」の大きな転換期に立たされているのではないでしょうか。「経済成長」か、「脱・経済成長」か、です。
「脱・経済成長」の一つの発想は、「循環」する経済です。いまの「経済」下では、貨幣量は増え続けるものの、広く分配されることはなく、ごくわずかな人のところに留まり、多くの人が富を得ようと一生懸命に働き、やはり富を貯め込もうと貯蓄に励む構図といえます。
そうではなく、例えば貨幣量に上限を設けて(あるいは、紙幣発行には価値の裏付けをして)、それを循環させることです。「経済」は回ることが重要です。規模を大きくする「経済成長」を第一義とした「経済」ではなく、お金もモノも循環させる「脱・経済成長」の新しい「経済」の仕組みです。
まずはいまの経済の仕組みに、関心を持つことから始めよう
分配がなされないのは、人為的な課題です。いまの「経済」の仕組みを作ったのは人ですから、人なら変えられるはずだと思うのです。いまの「経済」を続けていく限り、社会からこぼれ落ちてしまう人が絶えず存在することになってしまいます。社会問題化してからそれに対応するのでは遅いのです。何よりあるところにはあるのですから、分配すればいい。
しかし「脱・経済成長」へ舵を切ったとしたら、多くの政策が真逆になりかねません。金融機関の存在意義もかなり失われるか、大きな転換を迫られるでしょう。となれば、当然いまの政治家はやりたがりません。
それでも、社会から誰一人とりこぼさない「経済」を真剣に考えるとしたら、「脱・経済成長」は検討するだけの価値は十分にあると思います。「誰一人」です。少数だからといって、人間の尊厳が守られない「経済」を続けていく必要がどこにあるでしょうか。富はあるのですから、分配され、それが回る仕組みを作ればいいのではないかと、素朴に思うのです。
個人的には、「脱・経済成長」をしっかり謳ってくれるリーダーが現れやしないかと、ずっと期待しているところです。でも、多くの人が望まないと、なかなか現れないかもしれないので、ぜひいまの「経済」について、一人でも多くの方に関心を持っていただけたらなと思います。
人口減少も少子高齢化も、社会構造の変化は待ってくれません。皆さんは、いかが思われますでしょうか。