イタイおばさんと素敵な大人の女性の違いとは?
すてきな大人の女性とイタイおばさんの違いは?
いわゆる「昭和(風)なおばさん」は減ったものの、イタイ「おばさんキャラ」な女性はまだまだ健在。大人世代になるにつれて「すてきな大人の女性」になる人と「イタイおばさん」へと変貌する人の差は、いったいどこにあるのでしょうか。
イタイおばさんは、女であることを忘れている
昔も今も、おばさんの定義として一番に挙げられるのは「女を捨てている」ように見えること。当の本人はそんなつもりがなくても、さまざまな所作に表れているものです。たとえば、電車の中で脚を開いたまま座っている女性。寝グセを直さなかったり、根元が白くなっていても気にしなかったりする女性。さらに、緩んだ体型を気にせず、おしゃれに興味を失っている女性。
アラフォーやアラフィフでそこまで「おばさん」化していたら、もはや女を捨ててしまったのだろうと想像しますよね。その人自身が意識的に「女であること」から遠ざかっているならいいのです。イタイのは、おばさん化した自分にすら無頓着な人。
大人になると、カラコンやつけまで盛ったり、長いネイルや高いヒールなどを履いたり、「実用的じゃない」装飾の不自然さから卒業する女性が増えていきます。「ナチュラルな自分」を磨くならばすてきだと思いますが、ただの手抜きで減らしているとしたら、それは「おばさん」化のはじまり。最低限、パートナーから「女性」に見られないほど女を捨ててしまわないよう、気をつけましょうね。
イタイおばさんは、他人の存在すら見えていない
一概には言えませんが、性別的な特徴として、なぜか男性より女性のほうが「周りが見えていない」人が多く見受けられます。しかもおばさんになるほど、その傾向は顕著に表れます。たとえば、エスカレーターを降りた瞬間、あるいは自動改札を出た瞬間、急に立ち止まってしまう人はほぼ「おばさん」です。朝のラッシュ時など混雑している中でもおかまいなしに立ち止まるおばさん。直後を歩いていて、間に合わずぶつかってしまった人は、けっこう多いのではないでしょうか。
今ここで立ち止まったら背後を歩く人に危ないことなど、おばさんは思いつきもしません。自分のことしか考えていない、あるいは他人の存在が見えていないほど自分に集中してしまうのも困りものですが、一番の問題は「周囲に気遣うことすら思いつかない」生活ぶりにあります。
上記の行動は、フルタイムで働いている中年男性にはあまり見られません。それは毎日ラッシュ時に通勤しているだけでなく、社会生活において「周囲に気遣う」行動を求められる日常を過ごしているから。
たとえば車の運転をしているときは、無意識レベルで周囲に注意を向けていますよね。急に止まることの危険も分かっているはず。他人の存在に意識を向けられない人は、総じて「他人から(自分が)どう見られているか」も気にしません。だから外見にも気を遣わないし、疎まれてもマイペースさを崩しません。
他人に配慮できないほど自我を見失ってしまうことも、時にはあると思います。だけど少しでも心に余裕があるならば、自分と自分の周りの人を大切にする気遣いを発揮したいもの。それは大人の女性である以前に、社会の一員として必要なスキルではないでしょうか。
すてきな大人の女性は「年齢不詳」である
ここまでピックアップした「イタイおばさん」な行動をしないよう心がけるだけで、ある程度はおばさん化を防げると思います。おばさん扱いされない「すてきな大人の女性」というのは、若作りすることでもなければ、いつまでも少女の無垢さを保ち続けることでもありません。大人ならではの振る舞いと、女性ならではの「美しくあろうとする」姿勢があれば、重ねた年齢ぶん、女性は魅力的になっていくのです。
魅力的な女性は、いい意味で年齢不詳です。年齢なりの大人らしさを備えつつ「もうおばさんだから」と諦めない気持ちを持ち続けていること。アラフィフ世代の筆者も、年齢を言い訳にせず「すてきな大人の女性」を目指し続けます!
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