ブロードマンの脳地図とは? 脳の住所の表し方
「ブロードマンの脳地図」は作成から100年以上が経った現代でも高い評価を受けています
それと同じように、脳の話をするときに、「大脳新皮質の側頭葉の奥の後ろの方…」などと説明するのはたいへんですし、あまり正確には伝わりません。住所や地図に相当するような情報が利用できたら便利です。
19世紀末から20世紀初頭に、人間の大脳を研究し、いわゆる「脳地図」の作成に挑戦した研究者がいます。ドイツの医師であるコルビニアン・ブロードマンです。ブロードマンが作成・発表したものは、「ブロードマンの脳地図」と呼ばれ、100年以上経った今でも、神経解剖学の教科書や脳科学関連の研究書はもちろんのこと、一般書籍でも紹介され、高い評価を受けています。
脳研究の土台となった「ブロードマンの地図」がどうやって作られたのか、そこには何が示されているのかを解説し、さらにはどうしてここまで多くの人を魅了し続けているのか、その秘密に迫ってみたいと思います。
ブロードマンの脳地図はどう作られた? 52の領域に分けられた大脳皮質
1868年生まれのコルビニアン・ブロードマンは、1895年に医師資格、1898年に学位を取得後、1901年にベルリンの神経生物学中央研究所で、細胞構築学的方法による大脳区分の研究を開始しました。前の記事「「心」は脳の中にある?脳科学の芽生えと歴史」や「まるで脳内のインターネット⁉シナプス伝達で会話する神経細胞たち」で解説した、脳内の神経ネットワークや、その基本単位となる神経細胞の微細構造もまだよくわかっていない時代です。脳の構造を研究するための染色法も初歩的なもので、ゴルジ染色はまだ発明されていません。それでも、ブロードマンは、入手できた人間の大脳皮質の組織切片を染色して細胞を可視化し、地道に観察を続けました。地図の作成に先立ち、ブロードマンはある重大な発見をします。大脳皮質は、神経細胞の細胞体が集まった「灰白質」と呼ばれる外層部分と、神経細胞の軸索が走行している「白質」と呼ばれる内部構造に分けられますが、灰白質に分布する神経細胞には形態的に異なる多種類があり、それらが種類ごとに地層のような「層構造」を形成していることを確認しました。大脳皮質には何となく層構造があることは以前から知られていましたが、ブロードマンはそれをきちんと整理して分け、「6層」から成ることを提唱したのです。そして、各層を、外表面から順に1)表在層、2)外顆粒層、3)錐体細胞層、4)内顆粒層、5)神経細胞層、6)多形細胞層と名付けました。この考えは、今の脳科学にも継承されています。
さらにブロードマンは、大脳皮質の中で、この6層構造が共通するところと、異なるところがあることに気づきました。例えば、6層の厚さは、分厚いところと薄いところがありました。また、各層の厚さや神経細胞の密度にもかなり違いがありました。後頭葉のある部分では第4層が厚いのに対して、前頭葉のある部分では第4層が薄い一方で第5層が際立って分厚いといったように、ムラがあったのです。ブロードマンはこの層構造の違いに注目して、均一の層構造をもった部分をひとまとまりとし、層構造が異なるところで区分けして、大脳皮質全体を52の領域に分けました。そして、この情報を大脳の図に描き分けてマッピングしたものが、後に「ブロードマンの脳地図」と呼ばれる作品となったのです。
下図は、1909年に発表された「ブロードマンの脳地図」の第一弾です。当時はカラー印刷ができなかったためでしょうか、一生懸命に工夫して違うパターンの模様を考えて、大脳皮質の表面を塗り分け、そこに丁寧に1~52の番号付けがされていることに注目してください。
1909年出版の書籍『Vergleichende Lokalisationslehre der Großhirnrinde in ihren Prinzipien dargestellt auf Grund des Zellenbaues』に掲載されたブロードマンの脳地図。
ブロードマンは、複雑なシワがたくさん入った大脳皮質の部分を整理・区分して分かりやすくすることで、脳の研究に役立てようと脳地図の作成に取り組みましたが、自分の作品がどのような形で後世に利用されることになるかは知らぬまま、1918年8月22日に敗血症のため49歳の若さで亡くなりました。
ブロードマンの脳地図が評価される理由……形態と機能を結び付けた業績
ブロードマンの脳地図が、脳科学の土台として今も高い評価を受けている理由は4つあると思います。もっとも大きな第一の理由は、大脳の形態と機能を結びつけるのに役立ち、機能局在論を助けたからです。「失語症研究がきっかけに…大脳の機能局在論とは何か」で解説したように、19世紀後半に言語中枢の役割を果たすブローカ野やウェルニッケ野が大脳の左半球の前頭葉に局在することが見出されたものの、ブロードマンが地図を作った当時は、大脳の機能局在論はまだまだこれからという頃でした。ブロードの没後10年以上が経過した1930年代になり、ペンフィールドらによってより詳しい大脳の機能分布が明らかにされるに伴い、その局在を説明するときにブロードマンの地図が役に立ったのです。
たとえば、ペンフィールドが詳しく調べた体性感覚野は、ブロードマンの脳地図で第3,1,2野に相当していました。一次運動野は第4野にあたり、補足運動野は第6野にあたりました。一次視覚野は第17野、一次聴覚野は第41,42野にあたりました。つまり、ブロードマンの脳地図は、単なる形態の差異だけではなく、「その部分が何を行うのか」という機能の区分にもほぼ一致していたのでした。
よく考えてみると、これは当然のことだったのかもしれません。ある脳の領域が特定の機能を果たそうとするときには、特性の同じ神経細胞がまとまって働くために同じ場所に集まって分布していることでしょう。なので、元々は層構造だけに注目して大脳を区分した地図でしたが、それは見事に機能局在も的中させていたというわけです。
脳地図を作ろうという試みをした学者は、実はブロードマン以外にもたくさんいました。しかし、なぜかブロードマンの脳地図だけが、多くの「ファン」を惹きつけました。残り3つは、科学的にはさほど重要ではありませんが、広く普及することとなった理由が含まれています。
まず、脳に番号を付けたところがシンプルでわかりやすいですね。解剖学では、多くの場合、発見者等に因んで部位の名前をつけることが多いです。ブローカ野やウェルニッケ野はその典型です。しかし、大脳をたくさんの部分に分けるときにすべてに印象的な固有名をつけるのは難しいですし、何よりも覚えるのがたいへんです。数字なら、世界共通で、誰でも分かります。
また、52という個数が絶妙です。ブロードマン以外の学者が作成した脳地図には、大脳を20ほどの領域に分けたものや、200以上に細かく分けたものもありましたが、少なすぎず多すぎずの「52」を選んだブロードマンのセンスが光っていると私は思います。ちなみに、単なる偶然かもしれませんが、1年間は「52」週です。
さらに、ブロードマンが発表した脳地図は「未完成」だったのです。上で示した脳地図をもう一度よく見てみてほしいのですが、1~52の番号がすべて振られているわけではありません。12~16、48~51がありませんね。そう、欠番があるのです。ちなみに、1910年に発表された第2弾では、第12野(眼窩前頭野に相当)が新たに書き加えられています。いずれにせよ、わざわざ「全部で52に分ける」と決めておきながら、実際には52に満たない数の領域しか明らかにしていないのです。もしタイムスリップできるのなら、当時のブロードマン博士に会いに行って、「実際に52個あるかどうかわからないのに全部で52と決めたのはなぜか」を是非ともたずねてみたいくらい、謎です。もしかしたら、「未知の部分は後世のみなさんで研究してみてくださいね」という意味で、わざと欠番のあるまま発表したのかもしれませんね。
大脳の機能がより正確に読み解かれる未来に…最新の脳地図研究
ブロードマンの脳地図に続けと、近年の脳科学によって、より本格的な脳地図作りが進んでいます。たとえば、アメリカ・ワシントン大学のマシュー・グラッサーの研究グループは、210例の健康な若い成人脳の高解像度の機能的磁気共鳴画像(fMRI)データと、記憶・会話・思考テストなどの結果を組み合わせた解析を行い、2016年に最新の脳地図を発表しました(Nature, 536: 171–178, 2016)。グループは膨大なデータを3年間かけて解析し、大脳の左右半球を180の領域に分け、それぞれの機能局在を示しました。こうした研究がどんどん進めば、大脳の機能をより正確に理解することができるようになるでしょう。でも、こうした最新データを見ても、私はあまり魅力的に感じません。不完全で、一部誤りがあるかもしれないけれど、手描きの模様で描き分けた「ブロードマンの脳地図」の方が好きです。何度見ても飽きることがなく、研究マインドを挑発してくれる、そんな魅力を秘めた名作といえるでしょう。