脳科学・脳の健康

「心」は脳の中にある?脳科学の芽生えと歴史

【脳科学者が解説】「腹が立つ」「断腸の思い」「胸がおどる」…かつて「心」は脳ではなく、心臓や胃腸などの内臓にあると考えられていました。今日の脳研究の土台となった脳科学がどのように芽生えたのか、その歴史を見てみましょう。

阿部 和穂

執筆者:阿部 和穂

脳科学・医薬ガイド

誰も自分では気づけなかった!? 頭蓋骨内の「脳」という臓器

脳科学の芽生えと歴史

今日の脳研究により、脳の様々なはたらきが解き明かされてきました。脳科学はどのように芽生えたのでしょうか

「頭蓋骨の中に脳がある」

そんなことは当り前だと皆さんは思うかもしれません。でもよく考えてみてください。あなたは自分の頭蓋骨を開いて、中に何が入っているか確かめたことがありますか? 実際にそんなことをしたら死んでしまいますし、自分の頭の中を自分でのぞき込むということは構造的にも不可能です。多くの人が本やインターネットなどで脳の写真を見たりして、何となく知った気になっているだけではないでしょうか。誰も教えてくれなければ、生涯、脳の存在には気づかなかったかもしれません。

大昔の人は、どうやって頭の中に重要な臓器が入っていることを知ったのでしょうか。脳や神経のつくりや働きをどうやって解き明かしてきたのでしょうか。今さかんに行われている脳科学の基礎を作った先人たちの歴史を少し紐解いてみましょう。
 

頭のケガでなぜ全身に不具合が? 古文書から垣間見る脳科学の始まり

エドウィン・スミス・パピルスという古文書があります。古物を収集していたエドウィン・スミスというアメリカの貿易商が、1862年にエジプトのルクソールで購入して持ち帰ったことから、そう呼ばれています。古代エジプトのヒエラティックという文字で書かれているので、その内容はよく分かりませんが、専門家の解読によると、外傷手術に関する書物で、例えば頭部を損傷すると体に不具合が生じることなどが記載されているようです。
 
古代の人たちは既に、頭部に大事な臓器があるらしいことに気づいていたのではないでしょうか。しかし、そこから現代の脳科学につながる進歩がもたらされるには相当の時間がかかりました。
 

日本人と脳科学……古くは五臓六腑説による考え方

現代では脳科学をリードしている日本ですが、そのスタートは欧米に遅れました。その理由の一つとして、古くは五臓六腑説に影響を受けていたことが挙げられます。

五臓六腑説とは、私たちの胸から腹部にある内臓が様々な感覚や感情の中心をなし、体と心の統合を行っているという、中国で唱えられた考えです。確かに、私たちは緊張すると、心臓がドキドキしたり、お腹が痛くなったりします。そのようなことから、心臓や胃腸が緊張を生み出していると考えるのが、五臓六腑説の基本となっていました。

日本人が五臓六腑説に大きな影響を受けていたことは、日本語の慣用句として用いられる表現にうかがうことができます。たとえば、腹が立つ、断腸の思い、胸がおどる、胸がすく、肝を冷やす、肝に銘じる、腑に落ちないなどです。怒ることを腹が立つと言いますが、胃腸が怒りの感情を生じているわけではありません。肝に銘じるというのは、よく覚えておきなさいという意味ですが、肝臓に記憶する仕組みが備わっているわけではありません。もしそうなら、手術で肝臓を切除された方は、記憶喪失になってしまうはずですが、実際にそんなことは起きません。

また、私たちは、胸のところにあって血液を循環させるポンプの役割を果たしている臓器を心臓と呼び、何かに感動した時などに思わず胸をおさえます。心が胸の中にあると信じているからです。しかし、現代の脳科学は、心は脳にあることを明らかにしています。
 

日本人を脳科学に目覚めさせた『解体新書』

五臓六腑説から日本人を解放させたのは、あの有名な『解体新書』です。

『解体新書』は、杉田玄白らが入手したオランダ語の『ターヘル・アナトミア』という医学書を日本語に翻訳したもので、1774年に発刊されました。その大元はドイツのヨハン・アダム・クルムスが書いた医学書なのですが、当時は江戸時代で、日本は鎖国政策下にありましたから、ドイツの書物に直接触れることはできず、オランダを介して日本に伝わったというわけです。

その中には、頭蓋骨の中に脳があることを示した解剖図が載っていますが、脳が果たす役割などの詳しい説明はありません。脳科学と言える内容は含まれていませんでしたが、解剖学と生理学に基づいた西洋医学の手法で脳を研究すべきだということに日本人が気づくきっかけを与えてくれたのでした。

なお、『解体新書』は、国立図書館のデジタルコレクションで公開されていますので、是非皆さんも一度自分の目で確かめてみるといいでしょう。
 

脳研究初期の大発見「脳は神経細胞(ニューロン)の集まりだ!」

頭蓋骨の中にある脳をただ眺めているだけでは、脳がどんな働きをしているのかわかりません。脳の中は一体どうなっているのだろうか。そんな素朴な疑問を解決するために、世界中の研究者がチャレンジしてきました。
 
ある研究者は、他の組織を観察するのと同じように、薄く切って、顕微鏡で観察してみました。しかし、ゼリーのような半透明の組織を見ても、何からできているのかよく分かりませんでした。別の研究者は、試薬を使って脳を染めて観察してみました。しかし、全体が同じ色で染まった標本を顕微鏡で見ても、やはり何が何だか分かりませんでした。この問題を解決したのは、イタリアの解剖学者カミロ・ゴルジでした。
 
どうして思いついたのかは不明ですが、ゴルジ博士は、脳の標本を二クロム酸カリウムと硝酸銀の溶液に浸して染めるという方法を使いました。そうすると、一部の細胞の中でクロム酸銀の微結晶ができて、黒く浮き出て見えたのです。ポイントになったのは、染色ムラがあったということです。すべての細胞に同じように色がついたのでは従来の方法と変わりませんが、ゴルジの方法では、一部の細胞だけに色がついて、周りにある他の細胞には色がつかなかったので、区別がついたのです。そうして見つかった細胞が、まさに神経細胞でした。神経細胞が集まって脳ができているということが、こうして明らかになりました。

ちなみに、神経細胞は英語ではニューロン(neuron)と呼ばれます。書物によって、神経細胞と書かれていたり、ニューロンと書かれていたりしますが、両者は同じものを指していると理解しておきましょう。

今回は、私たちが脳という臓器の存在に気づいてから、脳が神経細胞でできていることが明らかになるまでの、脳科学の芽生えをご紹介しました。ここから本格的な脳科学が始まり、今日まで発展してきたのです。知れば知るほど面白い脳科学の発展について、ぜひ理解を深めていってください。
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