命を守るために一番必要なもの、「水」
脱水も飲みすぎも命にかかわる「水」。私たちの体は、適量の水分量を保つための複雑な仕組みを備えています
「体の中の電気信号を麻痺させる仕組み」でも詳しく解説した通り、私たちの祖先の命は海で誕生したと考えられています。その名残りでしょうか。人間の体のおよそ60%は水でできています。血液は液状ですから、水分量が多く、90%が水です。少しでも水分が減って血液の流れが悪くなると致命的です。脳も水分量が多く、80%が水です。脳の中には、血管が走っていますが、それ以外にも脳室と呼ばれる洞窟のような空間が用意されていて、その中を脳脊髄液と呼ばれる無色透明な液体が流れていて、酸素や栄養分が絶え間なく供給されています。少しでも水分が減ってしまうと、脳が正常に機能しなくなります。
陸上に暮らしている私たちが、いつも必要な体の水分量を保つためには、水を飲むなどして失われた分を補うとともに、水分をできるだけ失わないように防ぐことが必要です。そのために中心的役割を果たしているのは、間脳の視床下部です。今回は、視床下部が体液恒常性を維持する仕組みについて、わかりやすく解説します。
水分量ではなく塩分濃度をチェック? 水分減少を察知できる脳のセンサー
体内の水分が減ってしまったときにそれを補うのに最も簡単な方法は、水を飲むことですね。しかし、飲んだ水のすべてが体内に入るわけではありませんし、一部が胃から腸へ移動して体内に吸収されて体のすみずみまで到達するにはそれなりの時間がかかりますから、致命的な状態になったときに慌てて水を飲んでも間に合いません。そのため、私たちの体には、わずな体内水分量の変化でも、敏感に察知できるセンサーが脳の中に備わっています。脳のセンサーは、水分そのものを測っているわけではありません。私たちの体液は、主にNa⁺を含む塩水でできていますから、その塩分濃度と浸透圧を検出しています。
コップに入った塩水があり、水が蒸発して液量が減ったときには、塩分が濃くなりますね。それと同じように、脳のセンサーは、体液中のNa⁺濃度が上昇した時に「水分が減った」と解釈するのです。体液中のNa⁺濃度の上昇を検出するセンサー分子の実体については、完全に解明されていませんが、自然科学研究機構基礎生物学研究所の研究グループは、Na⁺を通す細胞膜上のイオンチャネルの一種であると提唱しています(Nature Neurosci 6: 511-512, 2002)。
また、浸透圧とは「半透膜を隔てて濃度が違う2つの水溶液があるときに、濃度を一定に保とうとして半透膜を通って水分が移動する力」のことです。たとえば、野菜に塩を振りかけてもむと葉や茎がしんなりとやわらかくなります。いわゆる漬物です。細胞の外側の塩濃度を高くして細胞内の水分を外に出すという、まさに浸透圧を利用した料理法です。これと同じように、体液の水分量が減って塩濃度が高くなると、浸透圧によって細胞内の水が外に出ようとします。つまり、脳のセンサーは浸透圧が高くなったことを「水分が減った」と解釈するのです。浸透圧の変化を検出するセンサー分子の候補として、TRPV(Transient Receptor Potential Vanilloidの略)チャネルが報告されています。
「のどが渇くと水を飲みたくなる」のは、当前のようで優れた仕組み
少しでも水分が失われると体の働きに異常が生じる恐れがあるので、脳のセンサーはとても敏感です。ちょっと汗をかいて、体重の1%程度の水分が失われるだけでも、私たちは「のどが渇いた」と感じるようになっています。脳のセンサーが捉えた変化は、どうやってのどの渇きにつながっているのでしょうか。その中心的役割を果たすのが、視床下部前野にあると考えられている「口渇中枢」(「渇中枢」とも言う)です。Na⁺濃度や浸透圧の上昇を感知したセンサーからの信号を受け取ると、口渇中枢が、のどが渇いたという感覚と水を飲むという行動をもたらすのです。
飲水行動は、生まれつき備わっているものと思われます。実は、私たちは生まれる前、お母さんのお腹の中で羊水に囲まれながら育ってきたわけですが、そのときから羊水をを飲み、吸収して体内を循環させた後、尿として出すということを繰り返してきました。生きていくために欠かせない水を飲むという行動は、本能であり、その本能を引き出すのが口渇中枢の役割です。
高齢者は脱水状態になりやすいと言われます。その理由の一つは、年をとると、口渇中枢の働きが衰えるからです。のどの渇きを察知して、飲水行動を誘発するのが遅れてしまうのです。
水の飲みすぎ・ガブ飲みで腎臓に負担をかけないために
ところでみなさんは、のどが渇いたときに、水をガブガブ飲んでいませんか? 渇きを早く無くしたい気持ちは分かりますが、一気に大量の水を飲むことは好ましくありません。私たちが飲んだ水は、主に腸から吸収されて体内に入り、利用された後、腎臓で処理されて尿として排出されます。なので、水をとりすぎると、腎臓に負担がかかります。また、腎臓が処理しきれない量の水を飲んでしまうと、体内の水分量が多くなりすぎて血液の塩分濃度が低くなり、電解質バランスの異常が引き起こされることもあります。
また、上述したように、飲んだ水が体内のすみずみまで行きわたるには時間がかかります。そのため、脳のセンサーが反応するまで飲み続けると、どうしても飲み過ぎになってしまいます。どれくらいで止めればいいのでしょうか。考えても分かりませんね。
ご心配なく。頭で考えなくても、水を飲み過ぎないように防ぐしくみが私たちの体には備わっています。口やのどには、冷たいという刺激や濡れたことを感じるセンサーがあります。少しでも水を飲むとこのセンサーが反応し、いち早く脳に「もう水を飲んだ」ということを知らせ、口やのどの渇きをなくすようにしてくれます。つまり、このしくみが正常に働いていれば、実際に体内の水分量が回復する前に水を飲むのを制限してくれるので、一口飲んだだけで満足し、飲み過ぎになることはないのです。
体内の水を無駄にしない! 原尿中の99%を再利用する仕組みも
腎臓は、糸球体(しきゅうたい)と呼ばれるところで血液を「ろ過」して尿を作ります。たとえば、目の細かい網目に汚れた泥水を通すと、小石や泥は網目を通らずに残り、透明な液体だけが下に滴り落ちて、分けることができますね。これが「ろ過」です。血液は、赤血球・白血球などの血球成分と、血漿と呼ばれる液体成分から成っていますから、網目を通すと、血漿だけを取り分けることができ、それが尿の元である「原尿」になるのです。腎臓が一日にろ過する血液の量は150~200Lと言われており、大型のドラム缶1本分に相当します。その大部分が原尿になるわけですから、それを全部排泄してしまったら、補うためにドラム缶1本近くの水を飲まなければなりません。はっきり言ってそんなことは無理ですし、実際に私たちはそんなに水を飲まなくても平気です。
原尿の組成は、血液の液体成分(「血漿」と言う)とほぼ同じで、水の他に、Na⁺などの電解質、グルコースやアミノ酸などの栄養分と、水溶性の老廃物が含まれています。私たちが尿を出す主な目的は、水溶性の老廃物を捨てることであり、必要な水分や電解質や栄養分はできるだけ捨てたくありません。そのため、腎臓の中にある管を原尿が移動していくときに、そうした必要なものは回収するような仕組みが用意されています。水については、原尿中の99%が体に戻され、最終的に尿として捨てられる水の量は1日に1~2L程度です。だから、私たちはそんなにたくさんの水を飲まなくても平気なのです。
腎臓の管で、尿中の水分を回収するのに必要なのが「バソプレシン」というホルモンです。詳しくは「視床下部にぶらさがる下垂体…構造と機能をわかりやすく解説」をご覧ください。バソプレシンは、視床下部の室傍核というところにある神経細胞で作られ、下垂体後葉まで伸びた軸索終末から分泌されると、すぐに血管に入って全身に運ばれます。それが腎臓に到達した時に、腎臓の中の管を水が通りやすくなる「水チャネル」というタンパク質の発現を増やすことによって、尿中の水を体に回収するのを促します。
バソプレシンの不足は、尿崩症という病気の原因になります。また、お酒を飲んだ時にトイレが近くなるのは、お酒に含まれるアルコールがバソプレシンの分泌を低下させるからです。
まとめると、視床下部は、常に全身の水分量の変化を見張っていて、必要に応じて、口やのどの渇きを生じて飲水行動を生じたり、腎臓に作用して水分を捨て過ぎないようにしているのです。私たちの体がいつも水水しく保たれているのは、すべて視床下部のおかげと言えますね。