脳幹とは……他の動物と違い、立った脳幹を持つ人間の脳
脳幹は、生命維持に欠かせない呼吸や血液循環などをコントロールする重要な部位です
脊椎動物の脳は、どの種でも基本構造は同じで、必ず脳幹を含んでいます。とくに魚類、両生類、爬虫類では、脳幹が脳の大部分を占めています。鳥類や哺乳類になると、小脳と大脳が大きくなっているため、脳幹が小さく見えますが、基本的な脳幹のつくりと働きは変わりません。このことは、動物の進化の過程で、脳幹が最も古い部分であることを物語っています。
しかし他の動物と比べたとき、人間の脳幹は決定的に違うところがあります。それは、「立っている」ということです。
私たちは、類人猿から人間へと進化するときに、二足歩行を選びました。二足歩行とは2本の足で体を支え重心を前に移動させて進む歩行様式のことで、一部の恐竜や、ダチョウなどの鳥類にも見られますが、体軸から下肢まですべてを垂直に立てた二足歩行をするのは、人間だけです。そのために、背骨の中にある脊髄と、その上端を取り巻く形でつながった脳幹をまっすぐに立てたのではないでしょうか。
名は体を表す「脳幹」……生命維持に欠かせない役割
脳幹の上に、シワがたくさん入って大きく盛り上がった大脳が乗っている人間の脳全体の形は、まさに大木のようです。大きな太い幹の上に、枝葉が生い茂っているように見えます。「脳幹」という名前は、まさに「名は体を表す」ですね。業務のとりまとめ役や飲み会の世話役を「幹事」と言いますし、国や地域や都市内において骨格的な道路網を形成する道のことを「幹線道路」と言います。つまり、「幹」という漢字には、物事の中心となり、それがないと全体が成立しない、とても大事なものという意味もあるのです。脳幹は、単に構造的に下で脳を支えているだけではなく、生きていくために欠かせない役割を果たしている部分なのです。
脳幹の部位は? 延髄・橋・中脳・視床・視床下部からなる脳幹
下の図は、人間の脳全体の中で脳幹が占める位置と、正面あるいは左横から見た脳幹を示したものです。脳幹を細かく分けると、下から、「延髄(えんずい)」「橋(きょう)」「中脳(ちゅうのう)」「視床(ししょう)」「視床下部(ししょうかぶ)」と呼ばれる部分が積み上がってできています。 なお、このうち、視床と視床下部は、まとめて「間脳(かんのう)」と呼ばれ、脳幹に含めないとする学者もいますが、「生きているために必要」という観点からまとめたほうがわかりやすいと私は考えていますので、ここでは含めることにします。以下で、それぞれの部位の機能と役割を解説します。
延髄とは……生命維持に不可欠な中枢を多く含む部分
一番下の延髄は、生きていくために欠かせない機能をコントロールする中枢をたくさん含んでいます。もっとも有名なのは呼吸中枢です。私たちは、横隔膜や肋間筋などの筋肉を使って胸郭を拡げたり狭くしたりすることで、肺に空気を取り込んだり押し出したりして、呼吸します。深呼吸しようとしたり、走ったりするときなどには意識的に呼吸を調節することもありますが、普段は意識しなくても勝手に胸が動いて、息を吸い、吐くことができています。これは、延髄の呼吸中枢にある神経細胞が、予めプログラムされた通りに呼吸の筋肉を動かすように指令を出してくれているからです。もし交通事故に遭ったときに、頭の後ろの方を強く打ち、延髄の呼吸中枢が損傷されると、自発的に呼吸ができなくなるので、即死となってしまいます。命を守るために、いかに大事な部分かわかりますね。心臓血管運動中枢は、心臓の拍動や血管収縮を調節することによって、全身に酸素と栄養分を送り届ける血液循環を司っています。たとえば、血圧が急激に下がったときには心臓がドキドキと速く動くようになりますが、これは血圧低下を感じ取った心臓血管運動中枢が心臓に「速く動きなさい」という指令を出すことで、低下した血液の流れを回復させようとする仕組みが働くからです。
嘔吐中枢は、ものを吐き出す運動を自動的に起こします。食べ過ぎたり、誤って異物や毒を食してしまった場合、そのままだと体に良くないので、これを体外に出してしまうために、胃や横隔膜、腹筋などを組み合わせて起こるのが、吐くという運動です。私たちは吐くときに、いちいちどうやって筋肉を動かすか考えてはいませんよね。無意識のうちに一瞬の動作として起こるのは、延髄の嘔吐中枢が、嘔吐に関わる筋肉を予めプログラムされた通りに動かす指令を出してくれるからです。
延髄には、咳をするときに働く「咳中枢」や、ものをスムーズに飲み込むために働く「嚥下中枢」などもあります。
橋(きょう)・中脳とは……運動系の重要な通り道・運動機能を担う
延髄の上で、小脳に接するような位置に、橋があります。念を押しておくと、読み方は「はし」ではなく「きょう」です。小脳から伸びた強大な線維束が、脳幹を包むように盛り上がって見えることから、この部位を左右の小脳半球に架けられた「橋」に見立てて、その名前がつけられたそうです。下から上に伝わる感覚系や、上から下に伝えられる運動系の重要な中継点や通り道になっています。また、上で紹介した延髄の呼吸中枢の働きを上から見張っていて、意識的に呼吸のリズムを変える「呼吸調節中枢」の役割も果たしています。橋の上には、中脳があります。体の動きを調節したり、視覚や聴覚の中継点としての役割を果たしています。中には、メラニンをたくさん含んでいるために黒く見えることから「黒質」と名付けられた領域があり、体をスムーズに動かすための調節機能を担う神経細胞が分布しています。パーキンソン病という脳の病気になると、黒質の神経細胞が原因不明に死滅してしまうことで、手足が小刻みに震えたり、体が硬直してうまく動かせなくなります。
視床と視床下部からなる間脳とは……神経の中継・本能的欲求のコントロール
脳幹の一番上に位置する間脳は、視床と視床下部から成っています。視床は、脳のちょうど中心付近にあり、様々な神経の情報を中継しています。とくに視覚や聴覚の情報を大脳新皮質に伝える役割を果たしています。
そして、視床下部は、その名の通り、視床の下部にある領域です。食欲、飲水、体温調節、睡眠、性欲などの本能的欲求をコントロールする中枢があり、私たちが生きていくために欠かせない役割を果たしています。
脳幹は休まず働き続ける縁の下の力持ち
まとめると、脳幹は、呼吸や血液循環、運動、食欲、睡眠など生命維持の基本にかかわる機能をコントロールするという仕事を、決められた通りに黙々とこなしてくれているのです。また、脳の他の場所は、疲れをとるために、睡眠中に活動を停止しますが、脳幹は決して休みません。睡眠中も、ちゃんと呼吸ができていますし、暑くても寒くても体温はほぼ一定に保たれています。それは、脳幹が四六時中休まず働き続けている証です。
原始的で、無意識な脳の働きなので、普段私たちはそのことに気づいていませんが、私たちが生きていられるのは、この忠実な縁の下の力持ちたる脳幹のおかげなのです。