嫌いな人は自分の鏡? ユング心理学に学ぶ「シャドウ」

背を向けあう男女

苦手な人、嫌いな人は自分の“裏の一面”に気づかせてくれる「シャドウ」なのかもしれない

身近な付き合いの中で、「この人はキライ。でも、なぜか気になって仕方がない」という人はいませんか? 嫌いなら取り合わなければいいのに、気が付けばその人のことばかり考えてムカムカ……。実はそういう相手こそ、自分の意外な側面に気づかせてくれる鏡なのかもしれません。
 
ユング心理学には、「シャドウ」(影)という概念があります。シャドウとは、自分が認めたくない自分の“裏の一面”を示すもの。つまり、自分が認める自分の個性を“光”とすると、認められない裏の個性が“影”、つまり「シャドウ」です。心の中にある「シャドウ」のイメージに似た人に会うと、ネガティブな気持ちが生じてしまうのです。
 
たとえば、社交的な人と消極的な人、几帳面な人と大雑把な人、派手好きな人と地味好きな人。このように正反対の性格の持ち主は、しばしば互いの存在が「シャドウ」になっています。互いにこうした相手とかかわると、「なぜそんな性格なの?」という疑問や「あの人がいるだけで楽しめない」といった感情が生じ、排除したくなってしまう。そういう感情が生まれます。
 

家族の中にも表れる「シャドウ」。夫婦や親子の葛藤の背景にあるもの

家族関係にも、しばしば「シャドウ」は現れます。たとえば、夫婦。夫婦は互いの弱点を補い合うために、自分にないものをパートナーに求めます。よって、正反対の性格の者同士が夫婦になると、互いの「シャドウ」を投影していることが多いものです。
 
親子やきょうだいもしかり。親が正反対の性格の子を授かることは多く、きょうだいも正反対の性格であることが多いものです。それがために、親子やきょうだいは互いの「シャドウ」を投影し、ほんとうは仲良くしたいのに、気がつけば家族の関係はいつもギスギス……。こうした現象に悩む家庭は、とても多いものです。
 

「こうあるべき」という思いが強すぎると、人は成長できない

人とのかかわりのなかで生きる私たちには、必ず「シャドウ」との出会いがあります。では、「シャドウ」をどのように受け止め、付き合っていけばいいのでしょう?
 
「シャドウ」は、認めたくない自分の“裏の一面”が投影された存在です。つまり、自分にも相手と似たような面がある。それを認められないために相手に嫌悪感を抱いたり、攻撃的な気持ちが生じたりしてしまうのです。
 
そもそも、人間の個性は一面的ではなく、多彩な要素が含まれています。だからこそ、人間は奥深くて魅力的なのです。「人はこうあるべき」という思いにこだわり、自分の価値観に合わないものを排除するだけでは、人間としての成長はありません。
 

「シャドウ」を鏡として自分と対話する方法、人間性の育て方

「シャドウ」は、認めたくない自分の“裏の一面”に気づかせてくれる鏡です。その人のことが気になって仕方がない。目の前にいるとイライラする……。こうした感情を覚えたときには、なぜそう感じるのか、自分の心と向き合って対話する必要があります。
 
たとえば、社交性を旨とする人、孤立性を旨とする人が、互いの存在に「シャドウ」を投影している場合、「自分にはあの人みたいに、孤立性にあこがれる気持ちもあるのかも」「自分にもあの人みたいに、誰とでも話せる人になりたい気持ちがあるのかも」、このように捉えると互いの存在を鏡にできそうです。
 
「シャドウ」をきっかけに内省すると、自分に足りない部分、これから成長させたい部分に気づくことがあります。そうした部分を伸ばすことによって人間は成長し、深みのある人になっていきます。「シャドウ」を鏡として自分を成長させることは、自分のなかにある”光“と“影”の両面を融合させること。かんたんにできることではありません。葛藤と摩擦が生じるため、抵抗感も強くなるでしょう。
 
でも、そもそも人間には、自分に内在する多様な側面に目を向け、表出し、心の全体性を実現していこうとする傾向があります。「シャドウ」の存在を否定するのではなく、まずは「鏡」ととらえてよく観察すること。相手のどんな部分に感情がかきたてられるのか、自分のなかから生じる思いと向き合ってみましょう。

「シャドウ」を通じて自分の心と冷静に対話していくと、「苦手な人」の存在を通して成長しようとする、自分の心への気づきも生じてくるものと思います。
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