痛み・疼痛

「全集中!」で痛みが消える?子どもの予防接種で有効な声かけ

【ペインクリニック院長が解説】予防接種や注射は痛みを伴うので、小さな子どもは泣いて当然です。しかし今シーズンは『鬼滅の刃』に絡めた声かけが大いに役立ちました。年間のべ1万人にブロック注射を行う痛みの専門医としての経験から、注射前の声かけによる科学的なメカニズムと痛み軽減効果を解説します。

富永 喜代

執筆者:富永 喜代

医師 / 痛みの治療・麻酔ガイド

予防接種が怖い! 注射前の子どもに有効な「声かけ」

予防接種・注射で余裕な子どものイメージ

注射が苦手な子どもは多いですが、ちょっとした声かけで痛みが紛れるケースも

私は愛媛県松山市でペインクリニックを開業している麻酔科医です。当院もインフルエンザの予防接種は小児にも行っており、接種シーズンの処置室は注射を嫌がって泣き叫ぶ子どもの声が響きます。ところが今シーズンは大泣きする子どもが明らかに減りました。それは注射前の子どもへの声かけが、例年になく効果を発揮してくれたからです。

今シーズンに強力な助けとなってくれたのは、幅広い年齢層の子どもたちが夢中になり、映画も大ヒットした『鬼滅の刃』です。『鬼滅の刃』では、主人公の炭治郎が強敵と戦うとき、特殊な呼吸法を用いて超人的なパワーを生み出します。注射を打つ直前の子どもは緊張していますが、ここで一言。

「全集中! 水の呼吸!」

すると多くの子どもたちがぐっと痛みを克服し、泣かずに診療室を後にしていくのです。地域を問わず同様の声かけを行った医師は少なくなかったようで、注射で泣かない子どもの様子が全国ニュースのコーナーなどでも報じられていました。これは確かに効いている!という実感がありました。ではなぜ声かけだけで、子どもたちは痛みに耐えることができたのでしょうか?
 

注射が痛いのは気持ちの問題? 実は絶対的なものではない痛みの感じ方

大人でも、注射器を想像しただけで嫌な気持ちになってしまう、という人がいると思います。それはやはり、「注射が痛いから」ですね。注射は針を刺すのだから痛いに決まっている、と言ってしまえばそれまでですが、この当たり前に感じる痛みのメカニズムは、実はとても複雑なものです。

注射を受ける時には、注射器の先端の針で、皮膚組織が損傷します。この傷を引き金に「侵害受容器」と呼ばれる神経が反応します。その神経を通じて傷の情報が脊髄から脳へ伝わって、初めて「痛み」として感じます。また損傷した組織には、痛みを引き起こす発痛物質や痛みを増強する物質などが出てきて炎症を悪化させるため、さらに痛みを感じやすくなります。
  
なぜこのように不快な「痛み」の反応が起こるのかというと、痛みには命を守る大切な働きがあるからです。組織損傷=傷があることを脳が感知すると、脳はその部位に痛みを感じさせます。傷のある部位は動かすと余計に痛く感じるようになっているため、安静を保とうとしますよね。その結果、痛みは傷口がそれ以上裂けることを防ぎ、治癒を早める働きがあるのです。

しかし、痛みの専門医として見ると、痛みはこの侵害受容器による絶対評価だけで決まるのではないといえます。自分を取り巻く環境や心理的影響、社会的記憶によって感じ方が変わることも、痛みの特徴です。
 
注射は、多くの人が物心つかない乳幼児の頃から予防接種で経験するものです。だから子どもたちは注射の経験を繰り返す中で、どのような時に痛い思いをするのかを学習していきます。

「病院に行くと注射が待っている。痛い思いをする」と学習した子は、病院だと気づいた時点で注射の痛みから逃れようとします。泣き叫んで全力で反抗し、力技で診察室に連れてこられるというのも、子どもの予防接種ではよく見られる光景です。子どもによっては「注射を我慢したら後でご褒美をあげる」と親になだめられていて、それを楽しみに頑張れる子もいます。また、ネグレクトを受けていた子どものケースでは、注射を嫌がって親にかまわれたことで、「注射のときは親に愛情をかけてもらえる」と感じ、中学生になっても注射を全力で拒否する反応が直らなくなってしまったという悲しい事例もありました。一言で「注射は痛い」といっても、その捉え方、感じ方はさまざまなのです。
 

子どもの注射の痛みに『鬼滅の刃』が効いた理由

このように、私達は子どものころから社会的記憶を積み重ね、痛みと行動を学んでいきます。小さい頃は注射の痛みを知って、注射は痛いから嫌いだ、と記憶します。しかし、多くの人は成長するにつれ、本気で逃げて腕を振り払ったりして、針を思わぬところに刺されたりしたら大変だ、大けがをするかもしれない、と学んでいきます。内心では泣き叫びたいほど嫌でも、友達の様子を見たり、周囲の評価を考えたりして、注射に対する痛み行動を変えていきます。
 
そして、今シーズン、多くの子どもたちに効果を発揮してくれた『鬼滅の刃』のフレーズは、その漫画を見ていた子どもたちの脳の視床下部を一言で興奮させることで、短期的な注射の痛みのストレスに対して、子どもたちの体を戦闘モードに変えられたことが要因ではないかと推測します。

注射の痛みを知っている子どもは、病院に来ただけでストレスを感じます。すると視床下部の急性反応としてストレスから身を守るように交感神経活動が活発になります。その結果、血圧や血糖値が上がり、敵=注射と戦う準備が整います。
 
このタイミングでよく知っている漫画でここぞという時に使われるフレーズを聴くと、さらに気分が高揚するのです。主人公と頑張る自分のイメージが合致することで、脳の下垂体からはACTHやβ―エンドルフィンなどが分泌されます。ACTHは副腎皮質を刺激して抗炎症作用の強いコルチゾールを分泌します。β―エンドルフィンは内因性のモルヒネ様鎮痛物質で強い鎮痛作用があります。これらのはたらきで、痛みを感じにくい状態になったのではないでしょうか。

多くの子どもが苦手とする予防接種や注射ですが、子どもの健康を守るために大切なものです。ただの気休めと侮らず、お子さんの好きな漫画やキャラクターのフレーズなども上手く活用して、痛みの軽減に役立ててみてはいかがでしょうか。
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