タイは政情不安が強く、数年毎に抗議活動が起きることは珍しくありません。2005年、2010年、2014年。そして今回の2020年7月18日から始まったデモは、2014年以来の大規模なデモです。デモが何度も発生する原因は多くありますが、主に現在の軍事政権に対する不満、現政権の腐敗や選挙の正当性への疑問などが考えられます。デモ隊の要求は国王の政治権限の制限にまで広がっています。
この記事では、様々なタイ語のニュースだけでなく、デモ隊参加者側の意見も参考にし、デモの概要や日本人にとって知っておいた方が良いこと、気を付けるべきことをお伝えします。
従来のデモのイメージは、多くの人が一つの場所に集まって、何日、何週間も要求を続けながら行進することでしょう。ただし、現在のタイのデモ隊はそれとはまったく異なり、新しい形のデモになっています。
「唯一のリーダーはいない」
タイは法律での規制が厳しく、表現の自由も少ないので、抗議活動のリーダーが逮捕されるのは珍しいことではありません。最近のデモ隊で注目すべきなのは「特定のリーダーはいない」ということ。誰でもリーダーになれるという意味でもあります。さらに、中心的な存在の有名な人物はいますが、国民の意思を統括できるような管理団体がありません。そのため今回はあちこちで無秩序にデモが起こり、今まで活動が無かった地方でもローカルなデモ隊が現れました。以前のように首都のバンコクだけにデモ隊が存在するわけでなく、地方都市、地方の大学、様々な町の大広場でも、同じ思いを持っている人たちが集まることもとても多くなりました。そして、各集会のリーダーは同じ人物でありません。
「手裏剣デモ」
タイ語の「手裏剣」という言葉には、「バラバラになる星」という意味があります。
最近ではバンコクの中心部で大きなデモ隊1つが活動しているのではなく、多数のデモ隊がバンコクの主要駅、交差点、大学など様々な場所で活動しています。さらにバンコク内だけでなく、地方の県庁、大学、広場などにも広がっています。その様子を「ดาวกระจาย」バラバラになる星の形のデモ、つまり「手裏剣デモ」と呼んでいます。
「日帰りデモ」
最近のデモはとても開始が早く、解散も早い。その日に集合場所を発表してすぐに集まって、活動して、その日のうちに解散することがほとんどです。7月から今までのデモ活動はほとんど1日以内に解散(午後10時の解散が多い)しています。
「我らは容疑者ではない、国民だ」
タイ国民デモ隊の要求
「皆がリーダー」だとしても、それぞれのデモ隊は統一した要求を持っています。ただし、それはほとんど共通しており、最も重要な要求は2014年から政権にいるタイ王国首相「プラユット・チャンオチャ氏」の辞任です。
もちろん、要求はそれだけではありません。
明確に中心的存在であると言える団体はありませんが、デモ隊の参加者が主流だと思っており尊敬しているのは「人民党」という団体です。1932年にタイで立憲革命を起こし、絶対君主制を倒した「人民党」と同じ名前を乗っている若者中心の団体です。「人民党」は現在の反政府活動のど真ん中にいる人物たちの呼び名です。
そして、これらのメンバーの3つの要求は:
1.プラユット政権の退陣と議会の解散
2.抗議活動の国民に対する嫌がらせをすぐに中止
3.新憲法制定
その他、タイ王室に対する改革を要求するグループもあります。しかし、タイでは王室に対する意見を出すのはとても難しいことです。王室を侮辱したと認められる場合、それに対する罰は3年から15年の禁固刑です。そのため、直接「王室の改革」まで要求するのはハードルが高く、公での活動はとても難しいのです。
警官の放水車
デモは危ない?
タイ国政府によると、デモ隊は連日大規模な抗議行動を続け、警官隊と衝突するなど、緊張感が日々高まっていると言います。それを理由に緊急事態宣言まで発表しました。
しかし、現在のデモ隊は国際連合(UN)によって「peaceful protesters」(平和的抗議者)として認められています。それだけでなく国際連合は「政府は国民の平和的抗議活動と表現の自由を守る義務がある」と発表しました。多くの国内外のメディアも好意的な報道をしており(下記参照)、今回のデモは、周りの人に対する暴力がほとんどなく、政府機能を停止しようとする暴力的な活動もありません。
・国際連合ニュース:人権専門家「タイ政府が平和的デモを許可すべき」(英語)
・日本経済新聞:タイの平和的学生デモ隊は大胆な要求をする(英語)
・バンコクポスト:三か所のデモ隊は平和的に終了(英語)
タイだけに限ったことではありませんが昨今の若者は平和主義者が多く、暴力には説得力がないと考える傾向があります。デモ活動自体もとても平和的で、若者のクリエイティビティを反映しています。多くの活動は若者らしく、ダンス、音楽、美術、ダジャレなどを通して政府に対する批判メッセージを伝えています
例えば7月26日に行われた「ハム太郎ラン」は、バンコクの民主記念塔で行った活動で、「とっとこハム太郎」主題歌の替え歌を中心とした抗議活動です。政府の腐敗を歌で伝えています。歌詞を「好きな食べ物は税金」などに歌い替えるなど、基本的にはこのような軽くて面白いイメージがある、暴力ゼロの活動が多いのです。
ただし、タイ政府の公式見解に則ると、デモは違反行為であることに間違いはありません。デモに参加しないことが最も安全です。その上、全国で統一した管理団体がなく様々なグループが好き勝手に活動しているため、中には危険なグループも存在します。例えば王室を応援する「黄色いシャツ」というデモ隊。このグループは、周囲の多くの人に対する暴力行為があると報告されています。
・カオソッド新聞:黄色いシャツデモ隊の男「殺せ…国の裏切り者」そして銃の撃ち音(タイ語)
デモの危険度については、国際連合の意見とタイ政府の意見は対立しています。
国際連合によると、現在のデモ隊は平和的抵抗者。しかしタイ政府によると、現在のデモ隊は違反。
デモ隊は自分たちが平和的に活動していると信じています。しかしタイ政府の公式広報によると、その行為は許可されておらず、デモ隊そのものが違法。
現地の参加者(デモ隊側)に聞くと安全に街なかを歩ける状態だという意見が多い。しかし暴力的な小団体も存在するため(上記の黄色いシャツなど)そのような危険な団体に遭遇しなければ基本的にはリスクは低いと考えられます。しかし、団体の区別がつかない日本人は、全てのデモ隊の活動場所から離れておく方がよいでしょう。
バンコクの電車「BTSスカイトレイン」の一時利用停止
一般日本人、在タイ・在バンコク日本人への影響
日本人への影響は大きくはありませんが、ないとは言えません。もっとも影響を受けるのは、バンコク在住の日本人です。バンコクの主要交通機関、例えばバンコクのスカイトレイン(BTS)またはバンコク・メトロ(MRT)は一部、一定時間利用できなくなりました。
主要な地下鉄スカイトレインが利用できなくなったのは、デモ隊の移動を封鎖するため、政権により停止されたことが原因です。
今回は地下鉄やスカイトレインが政権により一時、一部の駅だけ乗降禁止になりました。例えば10月18日には、15の駅に停車せず乗降できなくなりました。同じ路線でも、デモ隊の活動地点から離れている駅であれば普通に乗降できます。危険度は高くなく、不便を感じる程度です。
影響を受けないために最も良いのは、とにかくデモが行われている場所、および周辺には行かないことです。タクシーやタイ駐在員の運転手は状況を事前にしっかり把握し、交通停止の影響をできるだけ受けないようにしているそうです。
デモ隊が良く行われる場所の例:
・民主記念塔(バンコク)
・ラチャプラソン交差点(バンコク)
・パトゥムワン交差点(バンコク)
・ラートプラーオ交差点(バンコク)
・ドイツ大使館前(バンコク)
・タマサート大学(バンコク)
・チュラーロンコーン大学(バンコク)
・カセットサート大学(バンコク)
・様々な地方大学、県の中央大学
・様々な地方の県庁前、市役所前
「手裏剣デモ」と呼ばれるように、バンコクだけではなく地方でもデモがあります。ただし、地方の集会に関しては比較的心配は少ないです。地方のデモ隊の集合場所は基本的には大学内、記念広場、県庁前などに限られ、日本人が働いている工場団地や住宅地にはほとんど現れないため、あまり心配する必要はないでしょう。
タイにある日本企業に注意してほしいこと
タイで最も多い日本企業は製造業で、郊外に工場を構えています。今回のデモの参加者は学生や都心の若い社会人が多いため、郊外にある多くの日系企業の工場の稼働に影響が出ることは少ないでしょう。
その上、今回は「日帰りデモ」が多いため、仮に日系企業のタイ人社員がデモに参加したいと言っても、仕事への影響は最小限で済むと思います。
日系企業の経営者に注意してほしいのは「社員のデモ参加を止めてはいけない」ということです。タイでは以前に比べて、民間企業に対するボイコット運動がかなり活発になりました。「社員のデモ参加を止めた」というニュースが流れたら、その会社の製品はタイ人にボイコットされる可能性があります。
表現の自由という観点で言うと、デモに批判的あるいは無関心な発言はNGではありません。でも、経営者や社長という立場であればよく考えましょう。
例えば、タイの日本飲食店の日本人社長が、Twitterでデモについて批判的なコメントをしました。デモの参加者を「野次馬野郎達」と呼び、それがタイ人の間で一気に広がりました。日本語で投稿したにもかかわらず、日本語を知っているタイ人がその投稿を翻訳したのです。その後お店は政府反対派のタイ人にボイコットされました。結局社長は謝罪し、SNSでの投稿を一時やめると発表しました。
最後に。
現在のタイのデモは国際連合に「平和的抗議者」として認められています。一方でタイ政府は認めていない。政府にとっては無許可のデモ行為そのものが法律違反であり、国民に参加するなと言っているのです。
ただし国民は、デモに参加しなくても関心がなくても少なからず影響を受けてしまいます。特にバンコク都心に在住する人は、交通機関の停止などで不便を被るわけです。
だからこそ、タイにある日本企業は、社会の流れについて関心を持ってほしいのです。
タイの国民と政府は対立していますが、どちらも日本人に対する恨みは持っていません。
今回どのように決着しても、タイと日本がこれまでのように友好的な関係を続けていけることを願っています。
執筆者:ラチャ(All About Japan タイ語 編集リーダー)
【All About Japan編集部記事について】
日本の魅力を世界へ発信。All About Japanの外国人編集者による、インバウンド・アウトバウンドや異文化への理解に役立つ幅広い情報をお届けします。All About Japanについて詳しくはこちらから。